水魑の如き沈むもの三津田信三/原書房


 この「○○の如き●●するもの」シリーズ(なんてそのまんまの命名か)はホントに面白いなあ。元来ホラーが苦手、本格ミステリは大好きだがイカニモ本格の舞台然と拵えられたリアリティの無い設定も苦手、というあたしにとって、まさに鬼門であるようにも思えるシリーズなのに。そんな趣味嗜好にも関わらず本シリーズが面白く感じるのは即ち──ホラーなんだけど怖くない、本格なんだけどイカニモ本格然としていない、ということになる。いや違うな、怖いんだけどそう感じない、イカニモ本格然とした舞台なのにそう感じない、ということだ。あ、これはあくまでも自分基準の印象の話ですからね。

 戦後十年経ったか経たないかってあたりの奈良が舞台。民俗学に造形の深い作家の刀城言耶は編集者の偲とともに、古くから変わった雨乞いの習慣を持つという村へ出向いた。その雨乞いの儀式を見学するためだが、その場で殺人が起きて──という話で、この村に住む少年・正一の生立ちや家族の話を挟みながらの二視点で物語は進む。
 儀式の習慣様式ひとつひとつの裏に潜む真実をくみ上げ、別枠で語られた少年の生立ちがそれときれいに融合し、二転三転どころか七転八倒(?)するような推理の道筋を示す。これらがもう、いちいち面白い。知的刺戟に満ちていて、事件なんか起こらなくていいから、その地名や儀式の講釈をもうちょっと聞かせちゃくれないかね?という気分になる。そしてそういった民族学的情報の数々が、単なる蘊蓄ではなく、ちゃんとミステリとして生きて来るからすごいのよ。

 ホラーなのに恐ろしくはないのも、そしてイカニモ本格ミステリっぽい舞台なのにも関わらず虚構色が薄いのも、まず探偵役のこの学究的な姿勢のせいだろう。虚仮威しに乗らず、事象をひとつひとつ飄々とその場で(これ大事!)解き明かしてくれる。推理の出し惜しみをしない。そこに偲や、今回は村の青年・游魔のポップな掛け合いが混じるので、恐ろしいより楽しくて、彼らの会話をもっと聞いていたくなるのだ。そして面白がっていると──背負い投げを食らうことになる。

 ところで「はじめに」を読むと、本編は著者(刀城)の視点で書かれているが、正一の話は分量が多かったため、分けて正一視点の三人称で記述したと記されている。そして「正一氏と同じ手法で描いた人物が、もうひとりだけ存在するが、こちらは彼よりも生の姿を記せたのではないかと自負している」とある。これは単行本458ページから始まる章のことだろうが……そうか、考えてみればこの章も「刀城言耶」が書いてるんだ! うわははは、そう考えるとめっちゃ笑えるぞ。しかも「生の姿を記せた」って……なんて人の悪い!
 いや、待てよ? 当然編集者チェックは入ってるわけで……となると生の姿ってもしかしたら……などと考えるのもまた楽しい。うん、やっぱぜんぜん怖くないや。