魔法使いの弟子たち井上夢人/講談社


 あたしが最も読んでて辛い話、それは「自分ではどうしようもないこと、自分には何の責任もないことで、理不尽に周囲から排斥され、虐げられる」という話だ。小公女とかさ。アンネの日記とかさ。橋のない川とかさ。こういうのって本人の自助努力だけでは解決できず、周囲や環境や状況が何か変わるのを待つしかない。だから読んでて辛い辛い辛い。そして本書にも、そういう要素がある。

 本書では、凶悪な伝染病から奇跡の生還を果たすも、後遺症として超能力を得てしまった3人が登場する。千里眼になった京介。念動力を得ためぐみ。本当は九十代なのに三十代の体に若返った興津。
 まずめぐみは、致死のウィルスを運んだ張本人として近所の人から人殺し呼ばわりされる。実家も焼かれている。これはね、嫌な話ではあるけど、分かるのよ。いくら本人にその自覚がなかったとはいえ、そのせいで病気を移され家族を亡くした人にしてみれば、どれだけ悔しく、腹立たしいか。だからめぐみ本人も、人殺しである自分というものを可哀想なほどに自覚してる。
 でも、問題はこの先。超能力を得た彼らは、最初は面白がられる。けれどある事件がきっかけで、世間は彼らを危険なものと認識し、恐れ、──そして狩ろうとするわけだ。

 でも、小公女やアンネの日記とは大きく違うところがある。それは、彼らの超能力が半端なくすごいこと。従来の超能力の概念を超えちゃうくらいの、万能っつかスーパーマンつか、早い話が彼らは誰が攻撃してきても圧倒的に強いのよ。彼らが本気で戦おうとするなら、絶対負けないのよ。これは超能力なんてもんじゃない。魔法。だからタイトルが魔法使いの弟子たち。
 自分たちには特殊な能力があって、それは別に望んで得たものではなくて。だから自分なりにその力に折り合いをつけ、生きていく方法を探る。特にめぐみの決意や努力は涙ぐましいほど。だけどその能力故に人を巻き込み不幸にしてしまうという事実があって。ここの葛藤が読みどころ。
 そんな状況で、どうすれば平和裏にすべてを解決することができるのか。読者は彼らの視点に立ってるから状況がわかるし感情移入もできるけど、世間はそうはいかない。本書では警察ってのがすごく頭の固くて面子にこだわる勢力として描かれてるけど、同じ設定で今野敏あたりが警察視点で書くと、きっと警察の行動に理があるように思えて来るだろう。それくらい信じられない能力を彼らは持ってるわけだから。それは即ち、自分がこの場にいたらやはり彼らを恐れ、異端視するのではないかという、自分に対する不信すら生む。

 超能力のすごさ、それを発揮するシーンの盛り上がり、科学ミステリとも言える仕掛け、アクションシーンの臨場感など、もうページをめくる手がとまらない。そんなエンタメ満載のベースに、人から異端視されるという悲しみが漂う。そこがいい。
 このラストは賛否両論あるかもしれないが、あたしはアリだと思う。てか、このラストで救われた気持ちになった。と同時に、もう一度恐怖が甦ってきた。救いと怖さと余韻のある、巧い終わり方だと思う。
 あ、救いと言えば、(もちろんいろんな思惑があるとは言え)彼らに近い場所にいた病院関係者だとか、職場の人たちだとかが、彼らが人類を超えた能力を持ったと分かってからも彼らを理解し、助けようとしてくれたことも挙げておかねば。そういう理解者の存在は、「理不尽に辛い話なんか嫌だよ」というあたしのような読者にとっても助けになった。