史上最悪のクリスマスクッキー交換会レスリー・メイヤー・創元推理文庫

 思えばシリーズ1作目「メールオーダーはできません」(なまもの書評はこちら)もクリスマス前後の話だった。あれを読んだときにも思ったが、クリスマスと正月の違いはあれど、年末の主婦の忙しさはアメリカも日本も同じなのだなあ。ってことでシリーズ第6作。

 夫のビルとの間に四人の子供を持つルーシー。今は町の新聞社で非常勤の仕事を持っている。ただし目下の関心事はクリスマス。恒例のクッキー交換会を今年はルーシーの家でやることになったのだ。ところがその交換会が最悪。主婦同士でいがみ合いは起こるし、自分の離婚の話しかしない人もいるしで、もうさんざん。くたくたになったルーシーだったが、その翌日、ある女性が殺されていることが分かって──。

 殺人事件が起きるまでちょっと長いのだが、いやもう飽きない飽きない。狭いコミュニティで主婦が集まり、おとなしくガールズトークに花を咲かせていれば良いものを、それぞれが抱えている家庭の事情のせいで一触即発になる、その様子がおかしくておかしくて。
 男性読者がこれを読むと、おもしろおかしくキャラクタをデフォルメしてるように見えるかもしれないが、いやあ、いるよいるよこういう人。言わずもがなのことを言わずにはいられない人とかさ、自分の価値観に一寸の疑問も持たない人とかさ、とにかく他人と比べて優位に立ちたがる人とかさ。
 絶妙なのは、メンバーの距離感だ。これが初対面ならそういう人たちも自分を押さえてつつがなく交流することができるだろう。逆にもっと親しければ、腹を割った話ができる。そのどちらかなら大きなトラブルにはならない。けれどコミュニティのつきあいって、その中間なんだよね。他人行儀である必要はないけど、踏み込む度合いが測れず、結果としてぎくしゃくしてしまう。巧いなあ。

 謎解きはいつものように「もちょっと捻ってくれても良いのにね」と思わないでもないが、殺人事件のみならず、町の高校に蔓延するドラッグ問題や町が抱えるボランティア消防士の問題などなど、すべてが絡み合って一つ処に収束していく様にはカタルシスがある。田舎町のいいところだけでなく、悪いところもきっちり出ていて、単なる殺人事件の犯人探しだけでないところがいい。ミステリマニアには受けないだろうけど、「生活とコミュニティ」に重きをおくタイプのコージー好きにはお薦めだ。

 おや、と思った箇所があった。例によって主婦探偵としてルーシーがいろいろかぎ回るわけだけど、今回はちょっと控えめ。「あの穿鑿好きのルーシーがどうしたの」と知り合いに問われたときの、彼女自身、どうして今回はあまり嗅ぎ回らないのかを考え、あることに気付いたシーンが印象的。

 
このところ、自分で真実を突きとめようとするよりむしろ、腑に落ちない事実から目をそむけることに多くのエネルギーを使っている気がした。(p184)

 どきっとした。私は元来、好奇心だけで事件に首を突っ込む素人探偵は好きじゃないんだが、こういうふうに言われると視点が変わる。以前は腑に落ちない事実があればうずうずして飛び出して行ってたルーシーが、今はそれから目をそむけているわけだ。この変化は何なのか。
 これはルーシーだけの、あるいは探偵趣味だけの話ではない。子どもが成長して難しい年頃になって、同世代の子を持つ親同士だと無邪気な友達付き合いもできなくて、仕事もあって、家事にも追われて──そんな気ぜわしさの中で、自分らしさを忘れてはいないか、と。流されるままで、目の前のことで手一杯で、嫌な話は無意識のうちに見ないようにしてるんじゃないか、と。思わず我が身を振り返った。

 こういうところがドメスティック・コージーのいいところだ。読者が等身大の登場人物にそのまま感情移入できる。良くも悪くもロールモデルとして自己投影できる。数あるドメスティックコージーの中でも、そういう点ではこのシリーズはピカイチだろう。