新参者東野圭吾/講談社


 本人にとっては余計なお世話だろうけど、直木賞をとってから、ちょっと粗製濫造気味?と勝手ながら一方的に心配をしていた。だってさ、過去にお蔵入り(という表現もどうかと思うが)になっていた作品を急いで出したりとか(出したのは出版社だけどさ)、描写はさすがだと思わせるもののラストが妙に浪花節になってて「大衆ウケを狙ったかひがぴょん!」とホゾを噛んだりとかしたもの。でも、本書を読んで快哉を叫んだよ! やっぱり東野圭吾は健在でした。あー、よかった。ホントよかった。

  やっぱり加賀恭一郎モノは安心して読める。いや、ちょっと違うな。安心はできるが油断はできないのだ。レベルとしては高値安定、でも読者の足をすくうような、盲点を突くような展開が必ずあるんだから。

  刑事・加賀恭一郎はなぜか日本橋に赴任している(なぜか、ってこともないか)。本書は下町情緒豊かなこの古い町でおきた九つの事件を加賀恭一郎が解き明かす連作集だ。加賀モノのパターン通り、視点人物は加賀ではない。まずその町で暮らす人々の様子が描かれ、事件が起き(あるいは起きたことも知らされぬまま)視点人物のもとに加賀が現れる。それが複数続き、周囲の描写により加賀恭一郎という掲示像が示されると言って良い。外枠を塗っていくことで対象の形が見えて来るようなものだ。

  そしてこの描写法は、そのまま連作としてのミステリにも適用されている。それぞれ別個の事件を調査・解決しているようでありながら、実は連作が進むにつれ、外枠が塗られることによってひとつの事件の形が次第に見えてくるのである。いやあ、巧い。巧いよ。今更ながらに巧いよ。

  以上は技法の話。けれど本書の最大の魅力は、下町というものの描写にある。下町と言えば人情。けれどベタな人情話ではなく、怜悧な何かを覗かせる。日本橋という下町だって今は平成なのだ。江戸情緒が残っていると言っても、江戸ではないのだ。そういう「現代の下町」が実に見事に──読者の中にある虚構としての下町と現実の下町のブレンド具合が絶妙に醸し出されている。それがまたミステリの謎解きに直結するんだからタマりませんわん。

  下町という舞台のせいもあるだろうが、過去の加賀モノに比べると、円熟・滋味という言葉が脳裏に浮かぶ。加賀の内面は相変わらず描かれない。しかし、「卒業」では学生で、「眠りの森」で恋をして、「赤い指」で家族というハードルを越えた加賀も、確かに変化しているということが、シリーズ読者には手にとるように分かるのである。