失語'11

 脳出血から2年と1ヶ月、ダンナの失語症は当初から見れば長足の進歩を見せている。長い文や早口や急な話題転換にはついていけないが、ゆっくり短く話せば大抵通じる。発語の方も迂言(特定の単語が出ないときに他の表現を使って説明すること)を駆使しまくってるし。

 ただ、言葉ってのはただ意志を伝えるだけのものではなく、なんつーか、使う語彙や表現によって、好むと好まざるとにかかわらず、感情や評価も伝わるもんだよね。たとえば「何か飲む?」という問いに対して「コーヒーがいい」と「コーヒーでいい」では、受ける印象がぜんぜん違う、みたいな。
 こういう細かい機微といったものは、ダンナにとってはかなり難しいところなので、受け手としてはできるだけ「印象」を排して意志のみを受け取るよう努めなくてはならない。ちょっとした言い方でカチンと来ることがあっても、それはダンナにとっては本意ではなく、ただ要点を伝えるために一生懸命言葉を探した結果なのだと。それを分かってないと、余計な軋轢を生んでしまいかねないわけだが。

 でもさあ、先月30日、あたしが文春のI井さんと打ち合わせを兼ねた食事に行っていたときのことを表現するのに、

 「ほら、あの日。
あんたが、文春の人を、ムリヤリ飲みにつき合わせた日

 っていう表現は、どー考えても何か込められているとは思いませんかどうですか。