足の裏・東洋医学編

 一昨日痛めた足はまだ痛い。当初ほどではないけど、主として朝イチが痛い。
 今日はぽっかり時間が出来たので、外には出ずデスクワークの日にして足を休めようと思ったのだが、「そうだ、マッサージに行こう」と思いついた。肩凝り首凝り持ちのあたしにマッサージは必要不可欠な施術にして、リフレッシュの場でもあるのだ。そこで足のことも相談してみよう。
 思いついたら即行動。行きつけの治療院に電話すると担当の先生の予約がとれた。

 このH瀬先生ってのがアンタ、まだ若くて可愛い男の子(と言いつつ最近の若い人のトシは見た目じゃわからんのだが、たぶん二十代だと思う)で、もうこのキュートな子に揉まれてると思うとそれだけでヘロヘロに癒されてしまうのよおばちゃんは。
 この治療院では靴のインソールを作ったりとかテーピングとかスポーツ外来とかがあって、必要ならそういう施術も受けられるのだが、とりあえず、いつもの肩揉み首揉みの流れでH瀬先生に診て戴く。

 実は一昨日こうなって、痛みはこんな感じで、病院では足底腱鞘炎だかケンマク炎だかって言われて湿布もらって、という一連の状況を報告する。でもって靴下を脱ぎ、先生の前に左足をでんと出す。

 「あ。内側のくるぶしの下に、もうひとつ骨の出っ張りありますね」
 「整形外科でも言われましたよそれ。珍しいんですか?」

 実はうちではあたしもダンナも、両足の内くるぶしの下にもうひとつ、くるぶし状の出っ張りがあるのだ。小さなくるぶしで「小くるちゃん」と我が家では呼んでいる部位である。大矢家では〈小くる率〉100%なので気にもしてなかったが、実は日本人の15〜20%にしか見られない骨だと言う。へえ。

 「大矢さん、学生時代とかけっこうマジでスポーツしてました?」
 「してましてしてました。そりゃもうアタックNo.1な青春で」
 「この骨の出っ張り、いつ頃からあります?」
 「さあ……覚えてない。靴がたいていその部分から切れるんですよ」
 「そうでしょうねえ」

 そしてH瀬先生は、おもむろにあたしの足を曲げたり伸ばしたり畳んだり裏返したりし始めた。一昨日の整形外科では足の裏の腱をぐりぐりされて痛みにのたうち回っただけだったが、H瀬先生は足首を持って踵をくるくる回して見たり、内くるぶし&小くるの周辺を確認したり、更に上のふくらはぎの方まで押さえ始める。それがアンタ

 「せせせ、せんせーふくらはぎ痛い痛い! なんでっ」
 「足の裏から内くるぶしの下からふくらはぎって、ずっと1本の筋なんですよ」
 「いやだからって! これまで
気付かなかった場所の痛みを発見しなくていいからっ!

 そしてやっぱり足の裏はぐりぐりされると痛い(が、一昨日ほどではない)。ふくらはぎも揉まれると痛かったが歩く分には問題ない。問題は、歩くと痛い内くるぶし周辺だ。そしてH瀬先生が診断を下す。

 
「これ、思春期のスポーツ選手によく出る症状です」

 
大矢博子、昭和39年生まれ。辰年。46歳。思春期

 「先生……客観的に判断して、あたしって思春期にもスポーツ選手にも見えないと思うんですが」
 「まあそうなんですけど」

 多分、若い頃の継続的なスポーツによって内くるぶしの下の骨が歪んだんだろうと。足の荷重がまっすぐじゃなくて内側に落ち込んじゃってるらしい。「X脚ってこと?」と尋ねると違うと言う。X脚とは膝が内を向いてる症状だが、大矢さんの場合は足首から上はまっすぐで、ホントに足(脚じゃなくて)の部分だけが内側に傾いてるんです、と。

 「もうこの骨の出っ張り自体は治りませんから、この状態でできるだけ
  歪んだ部分を補正していくしかないですねえ。
  今の痛みはマッサージで筋をほぐしてやれば楽になると思いますが、
  この骨の歪みのままだとまた何かのはずみですぐ再発しますよ」
 「ああ、それは整形外科の先生にも(結論だけ)同じことを言われた……」

 先生によれば、一番良い対処方法は靴の中敷き、いわゆるインソールを作ることだそうだ。あたしの足に合わせたインソールを使うことで体のバランスを調整するという。でもね、オーダーメイドだしね、靴も一足だけじゃないしね……ということで、まずは手軽な方法としてサポータを見繕っていただくことにした。思春期の若造にはインソールなんて贅沢さ、若造にはサポータあたりがお似合いさっ(ヤケ)。
 次回予約は来週水曜。その前に、ダンナのリハビリの付き添いで病院に行くので、理学療法士の先生に相談してみよう。あ、
「脳天気にもホドがある。」に出てきた織田先生(仮名)のことです。<なんか読者の間で密かにファンが出来たらしい。

 それにしても思春期のスポーツ選手とは。
 そういえば10年ほど前に左上腕を痛めて整形外科に行ったら
「野球肩だね」と言われたことがあったっけ。やってないし、しかも利き腕でもないのに。「原因は変化球の多投」って、投げてない投げてない。「今中や川崎もこれだったんだよね」って、いやだから違うって絶対に!

 あのときは野球が好き過ぎて、想像妊娠ならぬ想像野球肩になったんじゃないかとまで思ったが、事ここに至っては、どうやらあたしの体は身に覚えのない部分でものすごくスポーツをしてるとしか思えない。しかも思春期だし。あたしの中にいる15歳くらいでスポーツマンのビリー・ミリガン出て来い。

足の裏・西洋医学編

 大御所推理作家の小説がドラマ化されるとき、その著者の名前が冠として使われることがある。
 よく見るところでは「西村京太郎サスペンス」「山村美紗サスペンス」などがそうで、別のパターンとして「松本清張の『黒革の手帳』」「東野圭吾の『白夜行』」なんてえのもある。
 ところで、同じようにドラマに名前を冠される大御所作家に夏樹静子さんがいる。でもって、彼女のとある短編がドラマ化されたときも、ご多分に漏れず「夏樹静子の」という枕詞がついたわけだが──。

 その短編タイトルが「足の裏」だったのは、不幸な巡り合わせというしかない。

 新聞のラテ欄にばばんと載った
「夏樹静子の足の裏」。何をやるんだ2時間も使って。見ていいのか。っていうか見たいのか。そもそも誰か局内で止める人はいなかったのか。この話はミステリファンの間では有名なものなんだが、おかげで夏樹静子さんと言えば足の裏、足の裏と言えば夏樹静子さんという、非常に間違った印象をずっと持ち続けるハメになった。いや、「足の裏」は名作短編ですよ「夏樹静子のゴールデン12」で読めますよ。<何をとってつけたように。

 てな話はさておき(さておくのか)、今朝、朝食を食べ終わって立ち上がり、数歩歩いたとき、いきなり左足の内側がズキっと痛んだ。歩く度に、内側のくるぶしの前後が痛くて、まともに歩けない。ぶつけたわけでもないのに、何だこれは。
 じっとしてれば痛みはないのだが、歩くといきなり痛い。底が厚いクッション仕様のスリッパを履くとだいぶ楽。これでは生活に困るので、整形外科に行ってみた(靴を履くとだいぶ楽になった)。

 この病院はダンナがリハビリでお世話になってるところで(
拙著に出て来たK病院です)、医療事務員さんも看護士さんも顔見知り。診察室に入って、左足の内側のラインから内くるぶしにかけてが歩くと痛いんです、ときどき足の甲や足首の方にも痛みが広がるんです、と訴える。
 すると先生はあたしの足の裏を見始めたではないか。先生に向けて足の裏を突き出した状態で、「ほう、内側のくるぶしの下んとこの骨が出てるねえ」「あ、それは昔からです」などと言いながら親指をぐっと反らし、足裏の筋を伸ばした状態であちこち抑え始める。
 いえ先生、足の裏ではなくて、土踏まずの脇のあ──
いでぇぇぇーーーーーーー!

「いだいいだいいだいいいいい!」
「うん、やっぱりここか。これね、ソクテイ──足の底って書くんだけど、足底の腱の炎症」
「えーでも歩く時は足の裏なんて痛くもなんともないですよ」
「でもこうすると痛いでしょ(ぐりぐり)」
「いだいいだいいだああああああ!」
「ね、ここの腱が炎症起こしてるんだよ。だからここと繋がってる上の方まで痛くなる」
「だって一番痛いのは内くるぶしのあたりなんですよう」
「でもこうすると痛いでしょ(ぐりぐり)」
「いだぁぁぁぁあああごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
 っていうか
痛いのわかってんなら押さないでもいいでしょ先生!

 楽しんでるとしか思えない。

「最近、いっぱい歩いたとかスポーツしたとかぶつけたとかの心当たりは?」
「いえまったく。むしろ運動不足気味なほど」
「まあ、これは原因不明でいきなりなるからね」
「不明なんだ……。骨とか腫瘍とかの怖い病気ってことは」
「ないない。湿布出しとくから足の裏に貼っといて」
「はあ……怖い病気じゃなきゃ、まあ、いいんですけど」
「でもこれね、一度なるとクセになるよ。何度も再発するよ〜」
「げ」
「つま先に体重かけると痛いから、踵で歩くようになるよ〜」
「げ」
「そうすると今度は腰に来るんだよね、あははははは」

 
絶対楽しんでるだろジジィっ!

 つまるところ、足底腱鞘炎(だったか筋膜炎だったか)ってことで、湿布出されておしまい。でもエラいもんで、痛い内くるぶしではなく足の裏(押されて死ぬほど痛かったところ)に湿布貼ってたら、ちょっと痛みは和らいできたよ。足の裏、侮りがたし。

 ところで診察後、事務員さんから「大矢さん! 
昨日の中日新聞見ましたよ!」と声をかけられた。まえの会社では合コン部員さんだったという美人事務員さんで、ダンナのリハビリ予約の調整にいつもお世話になっている人だ。

「あ、ご覧になりました? あれ写真載ってたから恥ずかしいんですよね」
「大矢さん、
メガネはずしてお化粧したらキレイなんじゃないですかー!

 なんかはっきりとケンカ売られてる気がするんですが。ほぼ2年間、毎週のように会ってますよねずっと顔見てましたよねお姉さん? で、今更のセリフがそれ? それなの?
 〈一度決着をつけねばならない人リスト〉のトップに名前を刻み込み、足を引きずりつつ病院を後にしたのであった。

中日新聞で紹介される

 本日付けの中日新聞の愛知県民版に、拙著「脳天気にもホドがある。」の出版とからめて、ウチの夫婦が紹介されました。思いっきり写真も出てます。県民版だと油断してたら、中日新聞メディカルサイトに記事も写真もそのまま掲載されてることをツイッターで教えられ、ひっくり返ったさ。しかも写真、カラーだし。

 取材を受けたのは5日の夕方。
 その時点では日本シリーズの行方が決まってなかったので、「シリーズが終わってからの掲載となります」と言われていた。しかも「勝ったか負けたかで、紙面も扱いも変わる」とのこと。いずれにせよ日本シリーズにからめて「ありがとうドラゴンズ」みたいな記事にしたいらしい。

 だもんだから出来上がった記事を見て大笑い。ダンナの病気もリハビリも、すべての話はドラゴンズへと結びつけられている。まるですべての道がローマに通じるかのように、すべてのネタがドラゴンズへと通じている。これは中スポか。あ、いや、記者さんの主旨を汲んで、あたしがサービス精神全開でそういうふうに話したんですけどね。もちろんぜんぶ事実ですよ。

 ただ、記事の後半で「和田一浩選手が骨折していたと知り、同じ“骨折仲間”として負けられない、とリハビリに励んだ」みたいな意味のくだりがあるんですが。ここであたしは「でも
和田さんに勝てるのって髪の量だけですけど」というエスプリに満ちたコメントをしたんだが、それはばっさりカットされていた。やっぱりな。わはは。

 なお、新聞記事は良いんだが、ネット掲載分で見出しが「リハビリ竜が励みに」となっているのがわかりにくい、という指摘をいくつか頂戴した。確かに、リハビリと竜の間に読点欲しいよね。どんな新種の竜かと思ったぞ>リハビリ竜。

日本シリーズを振り返る

 ダンナのリハビリ通院の日。
 病院前の喫茶店(
拙著にも出てきたドラファンのマスターとママの店)でも病院内でも「負けちゃったのは残念だけど、でもなんか不思議と満足したよね」という意見が飛び交う。もちろんあたしも同意見。
 あれだけの試合を見せてくれたらもう、たとえ負けようが文句なんか言えない。言えるわけない。むしろ「ありがとう!」と。「めちゃくちゃ興奮したよ、いいもん見せてもらったよ!」と。
 そんな気持ち。

 というわけで負けた割には実に清々しい──いや、2日連続の寝不足なので決して清々しくはないか──戦後を迎えた今日、球史に残る今年の日本シリーズを振り返ってみる。

10月30日 第1戦:ナゴヤドーム D2ー5M

 中日の先発は吉見。09年は最多勝に輝いた吉見の、10年の目標は「
お立ち台で笑いをとる」ことだった。吉見は頑張った。1年間フルに頑張った。しかし彼が練りに練った面白コメントは、「ファンの皆さんにメッセージを」と言われ「おなか空いたんで、早く帰ってご飯食べたいんで、皆さんも気をつけて帰ってください」というような、なんというかその、えっと、彼の気持ちを分かっているファンですら「どうしたらいいんだ……」と戸惑うようなものであったことは残念ながら否定できない。
 この吉見の苦悩を野手も知っていた。もうこれ以上、吉見に無理はさせられない。彼がお立ち台に立つ度に、「今度も面白くなかったらどうしよう」とファンを悩ませるのも忍びない。そんな吉見への友情とファンへの愛情故に、お立ち台に吉見を立たせないよう、敢えて初戦を落としたドラゴンズなのであった。

10月31日 第2戦:ナゴヤドーム D12ー1M

 チェンはなかなか打てまチェン。チェン先発の試合は負けまチェン。おまけに台湾の人でありながら、ドラゴンズの平(ごほごほっ)……えっと、そこらの若手選手より日本語に堪能ということもあり、今日は安心してチェンをお立ち台に上げられるとばかり野手陣も打ちまくった。この友情に感じるところがあったのか、チェンは後にポスティングによるメジャー移籍を延期、来季もドラゴンズでプレイすると宣言することになる。チェンはどこにも行きまチェン。

11月2日 第3戦:マリンスタジアム M7ー1D

 ドラゴンズの先発は、あの07年の日本シリーズで8回まで完全試合をやり、今年の8月にも対巨人戦で8回までノーヒットノーランをやった山井である。もし野球が8回までのスポーツなら彼は間違いなく日本一、いや、世界一の投手として君臨するであろう。
 しかしここで注意を喚起したい。完全試合やノーヒットノーランというのは投手一人の力でできるものではない。捕手のリードや野手の好守備あってこその記録なのだ。山井はそれをちゃんと分かっていた。慣れぬ球場、慣れぬ人工芝、慣れぬ照明、そして風。山井は自らの記録を犠牲にし、各ポジションを守る野手に対し、できる限り多くの守備機会を作ることに専念した。フライありライナーありゴロあり、その様子はさながら守備練習のごとし。このコースに投げると打たれ、この方向への打球は風が押してホームランになる、そういった情報を山井は身を以て野手や後続の投手たちに示したのである。野球とはチームワークのスポーツである、ということを山井はファンの胸に刻みつけた。ありがとう山井。君の死はムダにしない。(死んでない死んでない)

11月3日 第4戦:マリンスタジアム M3ー4D

 山本昌、45歳。200勝投手。ラジコン大会での優勝数を加えればとっくにカネやんを抜いているであろう日本球界の至宝である。そんな彼にもまだひとつだけ手にしてない勲章があった。日本シリーズの勝利である。昌が日本シリーズで勝ち投手になる日、それが昌にとって投手生活の完成形となるのだ。
 しかしそれは言い換えれば、目標を達成したあとの燃え尽き症候群を招きかねない。昌さんにはまだやめてもらっては困る。球界には昌さんが必要なんだ。そんな思いをマリーンズのナインはバットに込め、涙をこらえて昌を追い上げた。そして「より長い選手生命」のために「目先の勝利」を捨てるよう、昌を促したのである。ありがとうマリーンズ。あなたがたのおかげで昌は来年も現役です。
 試合はその後延長戦に突入。ドラゴンズファンは平均3回吐きそうになり、平均4回胃がモゲそうになる。ツイッターのTLは「胃薬をくれ」というツイートで埋め尽くされた。いつも通りのドラゴンズ野球である。普段通りの野球ができた方が勝つのは当然の理。浅尾が作ったワンアウト満塁の場面、リリーフした聡文は三直ゲッツーという離れ業を見せ、昌が27年かけても手に入れられなかった日シリ初勝利をあっさり手にした。ちなみに聡文は今年27歳である。なお、あのゲッツーの瞬間、TLが「ちびった」で埋め尽くされたことは言うまでもない。

11月4日 第5戦:マリンスタジアム M10ー4D

 中田賢一。ドラゴンズの暴れ馬。その暴れぶりたるや、三者連続四球のあとで三者連続三振にとるという、サドっ気満載のピッチングが癖になるファンも多い。野手いらんがや。しかし暴れ馬には欠点がある。異様に試合時間が長くなるのだ。以前、同じタイプのパ・リーグの暴れ馬・新垣(ホークス)と交流戦で投げ合ったときなど、1回の表裏が終わるのに45分かかったことがある(事実)。
 ところでこの日、幕張は冷え込んだ。ドーム球場ならまだしもマリンスタジアムでの長時間野球はファンに風邪を引かせてしまう。本来100球を超えてから真骨頂を発揮する大器晩成肩の中田ではあるものの、ファンの健康を第一に考え、早々にマウンドを降りるという決意をしたのであった。これは同時に「名古屋で2試合できる」という名古屋のファンへのサービスであったことは論を俟たない。
 尚、ホームランや決勝打を打つ度に「神様のおかげです」とコメントするブランコだが、このマリン三連戦、彼の神様は東京駅で京葉線ホームの場所が分からず、球場にたどり着けなかったことが後に判明した。

11月6日 第6戦:ナゴヤドーム D2−2M(延長15回、規定により引き分け)

 もう先発が誰だったかなんて、大化の改新くらい遠い昔のことになってしまった5時間51分の死闘。試合終了は日付が変わる直前。そりゃ幕張に比べてナゴドなら、空調は完備されてるし風はないし客が風邪をひく心配はないだろう。しかし終電の時間くらいは考慮していただきたい。夜中過ぎに何時間も歩いて帰ったファンやマンガ喫茶で一晩明かしたファンにはただただ頭を垂れるのみ。
 あまりの長さにツイッターでは途中から試合の趨勢より「解説席の野茂、起きてる?」という声の方が大きくなったほどである。もはや中日対ロッテの試合ではなく、試合時間対野茂の闘いであったと言えよう。翌日、知り合いにその話をしたら3人に1人の割で「え、野茂、いたの?」という返事が返ってきた。
 それにしても本来なら、ナゴヤドームでこのような展開で延長戦に持ち込んだら、ドラゴンズの勝ちパターンの筈。セ・リーグ相手ならサヨナラ勝ちの確率は9割を超えていたところだ。なのに勝ちきれなかったというあたり、やはり日本シリーズならではの重圧だろうか。

11月7日 第7戦:ナゴヤドーム D7−8M(延長12回)

 6対2でリードしたとき、勝ったと思った。
 河原が打たれ、6対6になったとき、まずいと思った。
 ネルソンが力つき、6対7になったとき、負けたと思った。
 9回裏、和田が三塁打、ブランコの犠牲フライで追いついたとき、全尾張が震えた。

 そのあとは、勝ち負けなんかもうどうでもいい、という気持ちになった。
 試合が、野球が、最高にエキサイティングだった。

 試合後、落合監督が「誰も責めない。今日は褒めてやる」という談話を出した。けれどファンは、監督がそう言う前から、試合中から「誰も責めない」と思っていた。2試合連続でイニングイーターの役割を果たしてくれたネルソンや、4イニングをまたいで投げた浅尾。彼らが打たれても、いったい誰が責められる?

 追いつかれてしまった河原も、逆転打を許したネルソンも、そのあとを引き継ぎミラクルなゲッツーを2回とった聡文も、悲運の負け投手になった浅尾も、そして岩瀬も、結果がどうであれ、彼らがベンチに戻ってきたとき、スタンドからは「よう投げた!」「ありがとう!」という声が飛んだという。試合中なのに、である。こんな泣ける話、ちょっとない。

 だから今日、会う人会う人が皆「残念だったけど、満足したね。充分だね」と清々しく笑い合えたのだ。

 それと。
 第7戦の試合中、あたしのツイッターのTLを埋め尽くした
「浅尾って可愛いだけじゃなくてスゴい!」が嬉しゅうて嬉しゅうて。あの浅尾の魂のピッチングを見て「中日ファンになってしまった」という人が続出。
 特に、テレビの演出なんだろうが、ピッチャーの顔のアップとバッターの顔のアップを交互に映したりなんかした日にゃあ、緊迫すべき場面にも関わらず「いやあ、申し訳ありませんけど、顔じゃあうちの浅尾のコールド勝ちですな、へっへっへ」とニヤけてしまったものだった。いやあ、だってねえ、別にマリーンズの選手がどうこうではなくてさ、バッターが誰であっても、あのカメラワークは比べられる相手が可哀想でしょう。特に里(げふんげふんっ)。

さあ、立浪以来の全国区の選手がやっと出てきたよ!
全国の皆さん、あれがうちの浅尾拓也です!

 拙著イラストを描いて下さったmihoroさんが、こんな可愛いイラストを描いてくれました。拙著イラストの仕事のせいで、何の興味もなかったドアラを何も見ないでも描けるようになったという「今後、使い道のない能力」を身につけられたmihoroさんに、来年こそ、喜ぶドアラのイラストを描いてもらえますように。

 マリーンズファンの皆さん、おめでとうございます。
 そしてドラゴンズファンの皆さん、お疲れさまでした。今年も楽しかったね!

鳥飼否宇さん来名

 『官能的〜4つの狂気』(鳥飼否宇・原書房)という本格ミステリがある。
 架空の都市・綾鹿市を舞台に起こる殺人事件とその謎解きが詰まった連作短編集で、バカミスすれすれに見えて実はけっこう緻密に練られたトリックや、シモネタすれすれに見えて実はすれすれどころか力一杯シモネタの、なんつーかその、薦める相手を非常に選ぶ、著者の名物シリーズのひとつだ。
 シモネタというだけで、苦手、と感じる人もいるだろう。ただ、たとえあなたがシモネタ嫌いであっても、あるいは本格ミステリというジャンル自体に興味がなかったとしても。

 
中日ファンなら、『官能的』は読んでおくべき本である。

 言っておくが野球小説ではない。野球のヤの字も出てこないし、ドラゴンズのドの字も出て来ない。それでも中日ファンが読めば、「ああ、これはドラゴンズ小説だ!」と納得していただけると思う。ちなみに本書を読んだときの、あたしの感想は
こちら

 さて、そんな小説を書かれた鳥飼否宇さんはもちろん中日ファンである。現在、奄美にお住まいなのにも関わらず、なんと6日の日本シリーズ第6戦を見るべく来名されたのだ。となればもちろん、歓迎の宴を開くべきであろう。
 本来なら名古屋城の天守閣を借り切って酒池肉林の盛大なパーティを催すべきところだが、鳥飼さんと会えるのが7日の夕方というのがネックになった。連絡をとり合った時点ではまだ7日に試合があるのかどうか分からなかったからだ。試合がないのなら大パーティも可能だが、あるとすればそれは最終戦、つまり勝った方が日本一という試合になるはずで、だったら飲んでる場合じゃあるまい?(もちろんこの時点では7日の試合があんなことになろうとは予想もしていない)

 結局、7日の試合がどうなるかは6日が終わらなくちゃわからないため、名古屋城は断念。「野球が無ければナンボでも飲むが、あるなら早めに帰る」という臨機応変な対応が可能の、在名の同業者にして中日ファン限定の迎撃となった。参加者は
太田忠司さん、水生大海さん、そして鳥飼さんとあたし。

 夕方4時過ぎに鳥飼さんお泊まりのホテルに集合。鳥飼さんとは全員初対面ではあるが、互いの著作を通じて知っていたということもあり、何はなくとも「何ですか昨日の6時間試合は!」という共通の話題であっという間に打ち解ける。
 予約していたダイニングカフェに場を移し(ここがまあ訳の分からない
真っ暗な店であった)、中日の勝利を祈って乾杯。今、完敗という嫌がらせのような誤変換をしやがったことえりに10分悪態をついたところだが、まぁそれはそれとして、仕事の話、本の話、野球の話、そして「なんで奄美なんですか」「虫が好きだから」ってな話、「こないだマダガスカルに行かれたそうですね」「虫が好きだから」ってな話、「会社をやめて専業作家になろうと思われたのは何がきっかけですか」「虫が好きだから」ってな話、てか、どんだけ好きなんだ虫。たぶんあたしと虫が溺れていたら、鳥飼さんは間違いなく虫を助けるだろう。

 あたしが大学時代を過ごした町と鳥飼さんの故郷が同じで、しかもかなり近所だったことに驚き、「旦過市場のとこに出る屋台って、おはぎがありましたよね」だの「守恒のニチイの坂を降りたところにあったスーパー、何て名前でしたっけ」「アピロス」というローカルにもホドがあるような話題(分かる人だけ分かってください)で局地的に盛り上がったり。

 そうこうしてる間にプレイボールの時刻となる。勝てば明日があるし負ければ終わりってことで、「プレイボールから見なくちゃ!」という切羽詰まった気持ちはないとはいえ、6時を過ぎると4人が4人ともまるで打ち合わせたかのようにモゾモゾし始める。「わ、ワンセグ入らないっ」「吉見対俊介だよね、たぶん」「とりあえずネットの速報を」「ナゴヤドームの俊介なら打てない事はないと思うんだけど」……「あ、先制されてる」「ええっ!」「あ、でも裏にすぐ取り返してる」「おお!」

 ……まあ、その顛末はどうであったかは、「勝ってるねー」「リードしてるねー」「安心だねー」と言い合ってそれぞれ帰途についた4人が、帰り着くなり声を揃えて
「どゆこと?!」とツイッターで叫んだ、とだけ書いておきましょう。しくしく。

 とまれ、たいへん楽しゅうございました。次回は野球の時間に縛られることなく、もっとゆっくりじっくり飲みましょう鳥飼さん……って、野球見に名古屋に来るんだからそれはハナから無理な相談か。では来年は、56年ぶりの完全制覇及び昌の日シリ初勝利の美酒をご一緒できることを願っております。