今週のワタクシ1/8

1月2日 日曜日
 今日から仕事を始めるつもりだったのだが、やる気スイッチが見つからず、結局断念。どうやらスイッチは自宅の中にはないらしい。
 
1月3日 月曜日
 
やる気スイッチはコメダにあった。年末、コメダで原稿書いたときに置き忘れてきたらしい。ということでコメダにこもって原稿を書く。

1月4日 火曜日
 待ちに待った燃えるゴミの日。
 ゴミを出した以外はひたすら仕事。ときどき気分転換にサイトの更新など。

1月5日 水曜日
 コメダに籠って、今日〆切の原稿を書き上げる。OKも出て一安心。
 
1月6日 木曜日
 CBCラジオ
「多田しげおの気分爽快!朝からPON」に出演。今日紹介したのは、堂場瞬一の「チーム」でした。箱根駅伝を舞台に学連選抜のランナーたちを描いた傑作だよー。

 そのあとはダンナの
初発作で超バタバタしたわけだが、事なきを得て一安心。あとになって、病院に着いたとき、救急隊の皆さんに御礼を言わなかったことに気付き、深く反省。ここで書いてもしょうがないんだけど、ホントにホントにありがとうございました。
 
1月7日 金曜日
 昨日の今日なので、あまりダンナから眼を離すのは心配だな、買い物もダンナが昼寝をしてる間にソッコーで行ってソッコーで帰ってこよう……と思っていたのだが、買い物に行ったら行ったでタイムサービスの時間まで粘ったり、ちょこっとお茶したりしてしまった。
 基本的にあたしって、真剣味が足りないんじゃなかろうか……。

1月8日 土曜日
 
昨日の夜中にゲラが10枚届く。戻しは週明け。その翌日は新刊レビューの〆切。まだそっちのゲラは読んでない。きゃあ。ここここの連休は仕事に埋もれなくては!
 どうせしばらくは長時間の外出は控えようと思っているところなので、きっと仕事も捗るはずだ!

緊急時に慌てない理由

 一昨日の日記を読んだ方から「なぜそんなに落ち着いて対応できるんですか」というメールを頂戴した。
 
拙著にも書いたけど、まずは阪神大震災の経験が生きてるってこと。でもそれだけじゃない。
 「読書」の功績が大きいよ。
 本を読むってことは、他人の人生を追体験するってことだから。本の登場人物がとった行動は、すべて自分の疑似体験となる。「こういうときは、こうするのか」という実例が、無意識のうちにどこかに蓄積されるんだと思う。
 あ、読書はもちろん純粋に楽しむためのものです。でも結果として、知らず知らずのうちにいろんなシミュレーションをしているってことになるのね。

 そこでこれを紹介しておきましょう。
日明恩『ロード&ゴー』(双葉社)
 救急隊員たちが〈救急車乗っ取り〉という事件に巻き込まれるサスペンス。日明さんらしく、〈お仕事小説〉としての情報も満載で、救急隊がどんな仕事をしているか、裏側はどうなってるか、患者にどう対応してるか、通報者に求められるものは何かということが、いろいろ出てきます。
 ああ、くれぐれも誤解しないで戴きたいんだけど、別に啓蒙書じゃないのよ。手に汗握るジェットコースター・サスペンスで、話の展開が意外性に満ちていて、めちゃくちゃ面白い小説。ただ、これを読んでおくと、かなり役に立ちます。そして救急隊員の皆さんに敬礼したくなります。

 
拙著に書いた言葉を再掲。「知識は力」です。知識があるってことは「どうすればいいか」の答(あるいはヒント)を持ってるってこと。パニクりそうになったときに「まずこれをしよう」っていう行動指針があるのと無いのとじゃあ、ぜんぜん違うのさ。

 ……まあ、そんなあたしも、運転してて車線変更間違うとめちゃくちゃパニクるけどな。車線変更小説って誰か書いてくんないかしら。

 あ、お仕事も告知。お仕事した雑誌が昨日届きました。

 
「asta*」2011年2月号(ポプラ社)で、
 
小路幸也『ピースメーカー』のレビューを書いてます。

 伝統的に運動部と文化部がいがみ合っている中学校が舞台。その架け橋となるべく奮闘するふたりの放送部員が主人公です。連作集でそれぞれに魅力があるんだけど、舞台が1974年ってえのがイチイチ懐かしい。細かい小道具の使い方が巧いんだよねえ。自分の中学時代のお昼の校内放送を思い出し、その流れのまま、中学のあの教室のざわめきや、窓から入る光の具合や、上履きで廊下を走ったときの足の感触といったものが思い出されてくる。

 善くも悪くも、鷹揚な時代だったよねえ。先生方も、職員室で当たり前のように煙草吸ってたしね。
 発売は1月13日だそうです。

発作=地震説

 ダンナのリハビリ通院の日。
 リハビリ前の診察で、主治医の先生に昨日の出来事を話し(昨日のうちに一度電話で伝えていたので話が早かった)、大学病院からの手紙を渡す。主治医の言葉は、昨日の大学病院の先生と同じ。昨日点滴を受けて薬を処方されて、それでそのあと再発してないので、同じ薬を続けてみましょうということになった。
 
 癲癇の薬はたくさんあって、合う薬が見つかれば
発作は抑えられるという。いやもう、神様仏様薬様な気分。全世界の薬メーカーと研究者に心からの感謝を捧げたい。
 ということで、まずは今の薬を続けてみて、2週間後に血液検査をしましょうと言われた。それで薬成分の血中濃度が一定量に達してるかどうかを判断し、達してるようならOK、足りないなら増やす、多いなら減らす、効果がないようなら薬を替えるなどの対応をとるそうだ。
 なるほど、定期的に「薬が効いてるかどうか」を数値で確認できるというわけか。

 先生曰く、「薬を飲んでても発作を起こすケースもないわけではない。でもそれはどうしようもないことだからね、
癲癇では死なないから。薬をちゃんと飲んで、睡眠不足にならないよう規則正しい生活をして」とここでも昨日と同じことを言われたよ。

 リハビリでは、発作のことよりむしろ「大矢さん、その顔は!」とお岩さん状態が話題の的だったらしい。ただ、CTでは見えない部分の脳の異常という可能性を考え、療法士さんが麻痺の度合いの変化を丹念に見てくださった。その結果、「肋骨打って痛いのと疲れてるせいで動きは悪いけど、麻痺自体に悪化は無い」という診断。一安心。

 そしてST(言語療法)の時間は、「癲癇って脳がシェイクされるわけだから、失語症が亢進しちゃうことがある」ということで、言語聴覚士さん──拙著に出て来た羽柴先生(仮名)がいろいろテストしてくださったらしい。その結果、大きな問題はなし。ただやはり昨日の今日なので脳も疲れてるらしく、聞き取りと情報処理のレベルがやや下がってると言う。しばらくはそのつもりでコミュニケーションをとってください、とのこと。
 本人も、「なんか今日は言葉が入ってこないなあ」とちゃんと自覚できてるらしい。先生も「昨日、脳がシェイクされたばかりなのに、なぜそんなに落ち着いてるの?」と逆に不思議がってたくらいなので、大丈夫でしょ。

 ということで大過なく通常生活に戻ったわけだが、そうは言っても、やはり心配の種は尽きないわけで。大学病院の先生も主治医の先生も異口同音に、「
発作で死ぬことはないけど、突然意識を失うので、倒れて頭を打つとか、入浴中で溺れるとか、車を運転中で交通事故を起こすとか、食事中で食べ物を詰まらせるとか、そういう二次的な状況の方に危険がある」とおっしゃったが、でもさあ、風呂や食事をやめることもできないし、じゃあどうすりゃいいのよ?
 やっとダンナに留守を預けて、一晩出かけたりが出来るようになってたのに、前に逆戻りかなあ、できるだけ離れないようにした方がいいのかなあ、でも離れないって言っても実際にはそんなこと不可能だし。
いつどこで起きるかわからない、そもそも起きるかどうかもわからないことに、対処のしようなんかないじゃないか。心配や不安といった感情の問題に折り合いをつける方法はあるのかな?

 で、知り合いにも心配をかけたので、ツイッターに書いたわけですよ。「発作自体では死なない。怖いのは転んで頭をぶつけるとか入浴中で溺れるとか、そういう二次的な状況の方」と。
 したらばさ! 
ヨウゾウさんのこのリプライに蒙が啓かれた。

 
地震で「揺れたことで人が死ぬ」ことがないように、ですね。

 わあ、そうか、そうだよ! 地震と同じだよ!
 起きるかもしれないし起きないかもしれない。起きるかどうかはコントロールできない。でも、起きても、それ自体が原因で死ぬってことはない。ただ起きたとき、何をしてるか、どこにいるかで運不運がわかれるだけ、と。

 地震と癲癇、まるっきり一緒じゃないか!

 火を使ってるときに地震が来るかもしれない。足場の悪いところにいるとき、地震が来るかもしれない。海水浴の最中に地震が来て津波に遭うかもしれない。だからって、料理もせず階段も登らず海にも行くのもやめる、なんて人はいない。
 自分が留守をして、家族がひとりでいるときに地震が起きるかもしれない。だからって、それが心配で、四六時中家族と一緒にいて、家から一歩も出ず、トイレにも風呂にもはいらないなんて人はいない。

 なあんだ、そう考えればいいんだ!

 もちろん健康な人よりは、罹患者の方がリスクは高い。でもそれって、ヨーロッパに住んでる人より日本にいる人の方が地震被災のリスクが高い、てのと同じじゃない?

 この
ヨウゾウさんの一言で、ものすごーーーーーーーーーーーく気持ちが楽になった。
 とりあえず、薬の効き目についてある程度の目処が立つ2週間後までは、長時間の外出は控えよう。でもその間再発がなければ、またちょっとずつ自立作戦を復活させるのだ。外出中はマメに連絡をとるとか、いろんなサービスを利用するとか、方法はいろいろあるさ。他人様を巻き込む恐れがあるのは車の運転だけど、これは今は既にやめてるから問題無し。
 癲癇の経験者は少なくないという。でもみんな薬を飲んで普通に生活してるんだもんね。やることをちゃんとやって、あとは気楽にいこう。

 ダンナ本人も「これで薬を飲めるようになったんだから、今後は安心。可能性を知らないまま、薬も飲まず、いきなり危ない場所で倒れるリスクが減った」という(意味のこと)を言ってます。あたしもノンキな方だと思うけど、ダンナもダンナで前向きだなあ。

 というわけで、ご心配下さった皆様、お見舞いツイートを下さった皆様、ありがとうございました!

初めての癲癇発作

 びびびびっくりしたー!

 早朝のラジオの仕事を済ませ、街でなんだかんだと所用を済ませて帰宅したのが午前11時。
 いつものようにダンナはひとりで起きてひとりで朝食を支度し、食べ、片付け、薬を飲んで、そのあとは自室でパソコンで遊んでいた。その間、何度かメールをやりとりしてたが、いつもとまったく変わりなかったのよ。

 帰宅して、あたしは昼までに送らねばならない原稿を仕上げ、編集さんへのメールを書いていた。そのとき。ダンナの部屋の方から「ああああああああああ」という声がした。
 バランスを崩してコケるときなど「わぁー!」という悲鳴をあげることはあったが、そのときの声は、まるで扇風機に向かって「あー」と声を出したときのような、妙に震えるような声。何が起きたかと、ダンナの部屋にダッシュした。

 眼に飛び込んできたのは、床に倒れたダンナ。「わあ、コケたかな」と思って助け起こそうとしたとき、全身が激しく痙攣しているのに気付いた。健康な左半身も妙に硬直してる。荒い呼吸はあるけど、呼びかけても反応がない。

 何が起きたかわからないのだが、とっさに考えたのは、嘔吐して喉につまらせるとまずい、ってこと。痙攣を続けるダンナの体を少し持ち上げ、体の下に膝を差し込み、どうにかこうにか横を向かせる。その姿勢のまま、手を伸ばして電話をとり救急車を呼んだ。
 いやあ、このあたり、我ながら慣れたもんだよなあ。3度目だしな、救急車呼ぶの。

 痙攣が激しくて家具に頭をぶつけそうだったので、とりあえずクッションをかませる。眉間の近くから血が出ていた。これは倒れるときにぶつけたんだろう。左目の下にもぶつけたような痕が出ている。
 そうしてるうちに次第に痙攣はおさまってきた。が、いまだに意識はなし。いびきのような呼吸。ときどき眼を開けるが呼びかけには反応せず。何なんだろうなあ、これ。とりあえず、救急車の到着に備えて玄関の鍵をあけ、通路を確保する。

 救急隊の人たちが来てくれたので(4人も!)、2年前に脳出血をやったこと、その後遺症で右麻痺と失語があることを伝え、お薬手帳と保険証と障碍者医療証を用意。ダンナのiPhoneと眼鏡も鞄に入れた。脳出血のときにかかった大学病院が受け入れてくれることになったので、その病院のカードも用意。火の元と戸締まりの確認。

 そしてこの間に、さっき書いた原稿を編集さんに送信。←これは自分を褒めていいと思う(笑)。
 今だから言えるが、実はこの原稿、お気楽介護についてのエッセイだったため、万一のときは全没を覚悟したのであった。そういう事態にならずに済んで良かったあ。

 救急車の中でモニタを確認すると、血圧は正常。まえに脳出血をやったときは救急車内で血圧200を超えたので、脳出血の再発ではないと考えられる。ちょっと安心。ダンナは救急車内で意識を取り戻した(ただあとで訊くとまったく覚えてないらしい)が、呼びかけへの反応は鈍い。
 このとき、救急隊の人に「失語症はどの程度ですか」と訊かれたことが印象深い。つまり、ダンナの失語症レベルを知らない人にしてみれば、今のこの反応の鈍さが「いつもどおり」という可能性もあるわけだ。正常なのか異常なのか、麻痺や失語がある場合は、いざというときのために第三者にも常態がわかるような手段が必要だなあ。

 病院につき、処置だの検査だの、お医者様から倒れたときの様子の聞き取りだの。
 CTの結果、少なくとも脳内に新たな出血は見られないってことで、再発の恐れはなくなった。良かったー、それが何よりだよー。でも、だったらこれは何?

 「癲癇(てんかん)の発作だと思われます」

 ああ、これが!
 その途端、思い出した。脳出血をやったとき読んだ本の中に書いてあったよ。脳卒中経験者は、脳細胞の死んだ部分が傷となってるので、後遺症として癲癇を起こすケースがある、と。お医者様も同じ説明をしてくださった。読んでたのに忘れてたよ! なんのための勉強か。
 それにしても、発症から2年も経ってから起きるものなんですか、と尋ねると、発症後すぐに起こす人もいるし何年も経ったあとで起こす人もいるとのこと。へえええ。

 痙攣を抑える薬を点滴してもらい、当座の薬の処方箋を貰った。この時にはダンナの意識もほぼ正常に戻っており、トイレに行きたいだのなんだの言っていた。そして倒れたときにぶつけたと思しき顔面の腫れと皮下出血がえらにことに(笑)。
 処方箋を貰って気付いた。普段飲んでる薬を、明日とりにいかねばならない。そのあたりの兼ね合いはどうなるのかと思い、「明日がリハビリ病院での主治医の診察の日で、薬を出してもらう予定なんですが」と伝えたところ、主治医宛への手紙を書いてくださったではないか。え? あれ?

 「あのー、ってことは、明日は普通に外出して、リハビリも出来るってことですか?」
 「ええ、大丈夫ですよ」
 「今日このまま入院するなんてことは」
 「点滴が終わったらお帰り戴いて結構です。すぐにまた発作が起きるようなら入院して
  一晩監視した方がいいですが、その心配はあまりいらないと思いますよ。
  明日、リハビリに行かれたときに主治医の先生と薬のことを相談してください」

 そんな程度のことなのかあ。なんか拍子抜け。
 お医者様のお話のポイントは、

 ▽癲癇の発作そのものは数分で治まるし、
命にかかわるものではない
 ▽15分以上続くようなら危険なので救急搬送の必要があるが、大抵はすぐ治まる。
 ▽ほとんどの人は
薬で予防できる
 ▽睡眠不足やアルコール、暗い部屋で点滅するテレビ画面が誘因になることもあるが、
  ぶっちゃけ何がきっかけになるかはまったく予測できないので、
  薬をちゃんと飲んで規則正しい生活をするくらいしか出来ることはない。

 そして気をつけるのは、「発作で死ぬってことはないけど、突然意識を失うので、倒れて頭を打つとか、入浴中で溺れるとか、車を運転中で交通事故を起こすとか、食事中で食べ物を詰まらせるとか、そういう
二次的な状況の方に危険がある」ということ。なるほどねえ。
 だからって風呂に入らないとか食事をしないなんてことはできないわけで。意識的に控えられるのは運転くらいのもんだ。だからできることは、
ちゃんと薬を飲んで予防に努めることと、万一発作が起きたときに適切に対処すること。それがすべてなんだな。あ、起きたときの対処ってのは、火や金属など危険なものを遠ざけるとか、状況によっては気道を確保するとか、ゆすらないとか、大声を出さないとか、そういうことね。

 というわけで、救急搬送されてから4時間後には自宅に帰ってきました。
 発作そのもので脳が疲れてるのに加え、転んだときの顔のケガ(そりゃもうお岩さんのように!)や、肋骨もちょっとやっちゃったらしく、頭も体も消耗していたためダンナはそのまま熟睡。
 ベッドで横になってくれてる分にはたとえ発作が起きても「倒れてぶつける」「溺れる」心配はないので、その隙にあたしは買い物だの家事だのを済ませる。全て世は事も無し。

 夜、食欲あるかなー、食べられるかなー、と思ってダンナに声をかけると、起きてきた。そして食事をしながらテレビをつける。

 「
ゴチの新メンバー、誰だろ」

 わ、こりゃ心配いらないわ(笑)

今年の文庫解説1号2号

 一昨日の日記で旧なまものの書評ページにリンクしたんだけど、一部のWindows&IEユーザーから「旧なまもの」が文字化けする、という報告をたくさん戴きました。
 ツイッターでその話をすると、複数の方から
この問題だろうとご指摘戴きました。IEのアップデータがそういう仕様になってるみたいね。「再読み込み(F5キー)する、他のブラウザを使う、マイクロソフトの手直しを待つ」というサジェスチョンも。
 Win環境でも、他のブラウザだと大丈夫。IEもバージョンで違うみたいですね。うーん、でも特定OSの特定ブラウザだけの問題ってことになると、こっちで対応できることは何もない気が……。

 天野頌子『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』(ポプラ文庫ピュアフル)の文庫解説を書きました。

 2011年最初の解説文庫です。書いたのは去年だけど。

 このキュートなイラストを見て戴けばお分かりの通り、コスプレマニアの話です。嘘ですごめんなさい。半狐半人の少年と怪しい陰陽師がコンビを組んで、町の事件を解決するほのぼのあったか連作ミステリ。家事や仕事がぽっかり空いた週末の午後、難しいことは考えず、リビングでごろごろしながら読むのにうってつけです。ちょっぴり苦くて、でも暖かい。上質のショコラのような物語。中高生にも良いと思うぞ。本日発売。

 そしてもう一冊。てか今年の2冊目。
 
深谷忠記『毒』(徳間文庫)の文庫解説を書きました。
 こちらは7日発売。

 著者の真骨頂とも言える、胸にずんとくる社会派とトリッキーな本格の合わせ技。社会派と本格を両立させるって点にかけては、深谷さんは第一人者と言ってもいいと思う。トラベルミステリの印象が強いかもしれないけど、それこそ
「落ちこぼれ探偵塾」(なまもの書評にリンク、でもIEユーザーは化けるかも)の頃から深谷さんは社会派本格を書き続けてる数少ない作家さんなんだから──てなことを解説で書いてます。

 でもって今日は芥川賞・直木賞の候補作の発表もあったりして、「おおこれが」「やっぱりこれが」といろいろ思うところはあれど、なにはさておき今日〆切のエッセイをひたすら書いておりました。午後はコメダ珈琲に籠ったよー。最早コメダが仕事場と言っていい。コメダがなかったら〆切落としまくってるんじゃあるまいか。いっそコメダに住みたい。
 ただコメダは、モーニングをやってる時間帯は相席当然ってくらいの混みようなので、午前中使えないのが難点。なんとかならんか。せめてあたしの〆切前だけでも、近所の方は午前中コメダに行くのを遠慮して戴けるとありがたいんだが。

あっちもこっちも正月ボケ

 なまもの書評を更新しました。レスリー・メイヤー「史上最悪のクリスマスクッキー交換会」と有栖川有栖「長い廊下がある家」の2冊。
 去年はとにかく書評をさぼってさぼってさぼり倒したら、あとになって読んだ本の記録がなくてえらい苦労したので、今年(というか昨年11月出版分以降)はできるだけマメにアップしようとココロに誓った次第です。少なくとも、良いと思った本については忘れず記録をとっておこうと。日記の更新も然り。今年は2年前に戻ったつもりで、たとえ面白い話がなくても、できるだけ毎日書くよ。

 ……さていつまで続くかな。(弱気)

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 今日は今年最初のダンナのリハビリ通院。担当の療法士さん(ご存知、織田先生(仮名))がダンナの歩きを見ながら「右足の降ろし方が雑なんだよなあ。
That's 雑」と新年早々腰が砕けるダジャレをかましてくれた。普段は厳しくてクールなくせに、油断するとこういう面をチラ見せするから侮れない。

 てか先生、今日、はっきりと二日酔いでしたよね? 時々えづいてたよね?
 年明け早々で通院患者が少なくて、ちょっこし気を抜いたたね? うふ。

 あと、会計窓口のお兄ちゃんが、昼休みの誰もいない待合室で、
踊っていた
 何だったんだろうあれは……。
 あたしに気付いた瞬間のお兄ちゃんの慌てぶりと言ったら、部屋でエロビデオを見てるところにいきなり母親に入って来られて慌ててビデオ止めて意味なくそこらを片付け始める中学生みたいだったぞ。

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 夕方、テレビつけっぱなしで家事をしてたら、「
暴走族から奇跡の復活」という声が聞こえた。更正してエラい人になったみたいな話?と思ってテレビを見たら、「脳梗塞から奇跡の復活」だった……。

 いや似てるけどもさ。何がショックって、あたしの立場なら脳梗塞という言葉にこそ敏感であるべきで、「暴走族」を「脳梗塞」に聞き間違えてこそ世間様の同意を得られるってもんじゃないのか。
 なのに逆って。
 これは正月ボケだと思いたい。決して、あたしの中で興味の焦点が「脳梗塞<暴走族」という序列になっているわけではないと信じたい。三十年も前の話じゃないか(何が?)。潜在意識なんて知らない、これは罪の無い単なる正月ボケなんだ、ええきっと!

お薦めの箱根駅伝小説

 旧サイトの頃から長年ご覧戴いている方々から、「カテゴリだのタグだのよりやっぱりリストでしょ五十音順でしょアナログ上等でしょ!」というリクエストを受け、書評のページのサイドバーから書評一覧に飛べるようにしました。でもリニューアル後にアップしたなまもの書評はほんのちょっとだけなので、一覧にするとかえって寂しい……。こうしてみると、旧サイトの書評リストは我ながらバカじゃないかってくらいの量があったんだなあ。数だけは。どんな低レベルでも続けるってすごいことなのね。

 さてお正月はだらだら過ごしてます。やっぱ箱根でしょ。若い頃は「かっこいいお兄ちゃんたちが走っている」という目で見ていたものが、今やすっかり息子を見る目になっている。今年は途中でフラフラになって「もういいから、誰も責めないから止まって!」と言いたくなるような辛い場面がなくて、最後までエキサイティングでいいレースでございました。

 ところで、ニュースで箱根駅伝の映像が流れる度に、早稲田の子に「そこ滑るから気をつけて!」、国学院の子に「そこ道違うから気をつけて!」と声をかけてしまうのはあたしだけだろうか。そして何度注意しても同じ場所で転び、同じ場所でミスコースする彼らに「だから言ったのに!」と本気で怒っているあたしはまぎれもなくおばちゃん。

 それにしても箱根は、フジのフィギュアスケートやTBSの世界バレーのような、芸能人つれてきてお祭り騒ぎ的中継をしないのがいいね。ムダな煽りやお涙頂戴も殆どない(まったくないワケじゃないが、許容範囲)。スポーツはそれだけで充分ドラマティックなのだということを証明しているよ。さすが日テレは、スポーツ中継には一日の長がある。

 さて箱根駅伝と言えば思い出すのがこの5作。

  10130151  10116758  16777101
       
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 安東能明
「強奪箱根駅伝」(なまもの書評にリンク。以下同じ)はサスペンス、三浦しをん「風が強く吹いている」は青春&友情小説、桂望実「Run! Run! Run!」は青春&家族小説、堂場瞬一「チーム」はスポーツ小説、そして黒木亮「冬の喝采」は成長小説といった感じでしょうか。あ、「冬の喝采」だけ書評書いてなかった。つ、痛恨……。

 ベクトルの違う5作だけど、いずれもレースの描写が実に素晴らしい。タイプが違う分、最低でもどれか1冊はお気に召すのでは。特に、青春スポーツ小説というくくりで語られがちな箱根駅伝を「中継する側」の視点でサスペンスに仕上げた
「強奪箱根駅伝」はミステリ者なら一読の価値ありですよ。 

失語'11

 脳出血から2年と1ヶ月、ダンナの失語症は当初から見れば長足の進歩を見せている。長い文や早口や急な話題転換にはついていけないが、ゆっくり短く話せば大抵通じる。発語の方も迂言(特定の単語が出ないときに他の表現を使って説明すること)を駆使しまくってるし。

 ただ、言葉ってのはただ意志を伝えるだけのものではなく、なんつーか、使う語彙や表現によって、好むと好まざるとにかかわらず、感情や評価も伝わるもんだよね。たとえば「何か飲む?」という問いに対して「コーヒーがいい」と「コーヒーでいい」では、受ける印象がぜんぜん違う、みたいな。
 こういう細かい機微といったものは、ダンナにとってはかなり難しいところなので、受け手としてはできるだけ「印象」を排して意志のみを受け取るよう努めなくてはならない。ちょっとした言い方でカチンと来ることがあっても、それはダンナにとっては本意ではなく、ただ要点を伝えるために一生懸命言葉を探した結果なのだと。それを分かってないと、余計な軋轢を生んでしまいかねないわけだが。

 でもさあ、先月30日、あたしが文春のI井さんと打ち合わせを兼ねた食事に行っていたときのことを表現するのに、

 「ほら、あの日。
あんたが、文春の人を、ムリヤリ飲みにつき合わせた日

 っていう表現は、どー考えても何か込められているとは思いませんかどうですか。