名古屋本プロ交流会、始動

 前にちょこっと書いた「名古屋の作家・書評家・書店員が集まって交流しよみゃあ会」がいよいよ具体的に始動します。ので、ちょこっと改めて経緯と告知を。

 話は昨年12月に遡る。ツイッター発で東京在住の女性作家さんたちが「小説家の女子会なんて楽しいんじゃありませんこと?」と優雅なランチ忘年会を開催されたのだ。女子会いいなー、ガールズトークいいなー、と思いながら名古屋の片隅で指をくわえて見てたと思いねえ。なんせこちとら、地元で業界の友人とランチしよまいってなときには、20年近く変わらぬムサクルしいミステリ系のメンツ(誰とは言わんが)ばっかりだったからね。女子会でガールズトークしようにも、業界外の女友達と更年期の話題で盛り上がるのが関の山。まあ、それはそれで楽しいんだが。

 で、その東京での小説家女子会に参加された中のひとり、
碧野圭さんは、名古屋出身の作家さんである。名古屋を舞台にしたフィギュアスケート小説「銀盤のトレース」を出されたときには書店を100店舗巡って挨拶すると言う、そりゃどこのお遍路かというような企画を敢行された方だ。春頃、名古屋に一度帰省するかもってんで、東京女子会を指をくわえて眺めていた水生大海さん(デビュー作「少女たちの羅針盤」が映画になります)と一緒に「じゃあ迎撃するよ! 飲もうよ! 名古屋業界女子会をひっそりやろうよ!」という話になった。ええ、最初はそんなところからだったんですよ。

 それがなんでこんなことに……。

 どうせ名古屋に凱旋するのなら、徳川宗春よろしく3mの長煙管を手に大振り袖で輿に乗って登場するくらいのことはしないとね、などと面白がってツイッターに書いてたら、「それ出たい、輿かつぎたい」というメンションを頂戴した。それがとある書店員さんだった。この頃は、この書店員さんにしたところで「前にお会いした碧野さんがまたいらっしゃるし、なんかフザけた会になりそうで見てると楽しそう」というレベルだったはず。

 でも。作家(と書評家)の飲み会に書店員さんも呼べるのなら。
 これはちょっと面白いことになるんじゃないか。
 しかも碧野さんの帰省が4月頭ということで、
ブックマーク名古屋とも重なるじゃないか。

 名古屋というのは大きな都市ではあるけれど、東京や大阪と比べると都会エリアが狭く、凝縮されてる観がある。でもって名古屋在住の作家さんもある程度の人数がいらっしゃる上に、書店は全国規模の大手チェーンから地元の老舗まで揃ってる。
 ナゴヤメシだの名古屋嬢だのが一時期評判になったが、こと「本」に関しても、けっこう恵まれた環境の都市なんじゃないか? 集まろうと思えば、多すぎず少なすぎず、ほど良い規模で集まれる都市なんじゃないか? てか、もっと地元の業界関係者で繋がってもいいんじゃないか? せっかく近くに書き手と売り手がいるんだから、コミュニケーションを持たない方がもったいないんじゃないか? そうして名古屋発信で本の世界を盛り上げていく手が、何か生まれるんじゃないか?

 昨年、鮎川賞の授賞パーティに参加したとき、「こういう集まり、小規模なものが名古屋でもできるといいのにな」とぼんやり考えていたことを思い出した。おりしも福岡では、こちらも二十年来の盟友(ただし本のつながりではなく自転車つながり)
高倉美恵さんが福岡での書店イベント、ブックオカの準備に奔走されていた。名古屋は何もしないって法はない。

 実際には名古屋は何もしてないどころか、
ブックマーク名古屋はあるし、書店員さんたちのギルド(え?)もある。でもあたしと、あたしの交友関係は、それらとは関わりがなかった。なかった関わりなら、これから作ればいんじゃなかろか。女子会にこだわることもない、名古屋の本関係者なら、女も男もそれ以外もどんどん会えばいいじゃないか。

 ──とまあ、長くなりましたがこれが経緯です。

 でもって本題(ここからか!)。
 「名古屋に帰省される碧野圭さんを、長煙管持たせて大振り袖で輿に乗せてお迎えしよみゃあ会改め、名古屋の作家書評家書店員で交流しよみゃあ会」を以下の要領で開催します。

 日程:4月最初の週末(1〜3日あたり)で都合の合う日。たぶん夜。
    週末より平日の方が集まれそうなら、4/5以降で調整。
 場所:名駅界隈。
 現時点での参加者:
  作家組 碧野さんの他、ミステリ系3名・児童系1名・歴史時代系1名。
      他に、今話題のあの人やマニアなファンの多いあの人に声かけ予定。
  書店組 ツイッターで手をあげて下さった方の中で確定2名。
      〈調整の上、前向きに検討〉数名。ひっかけられそうな人1名。
  書評組 てかあたし以外におらんのか名古屋には。いるだろう誰か。

 こんな感じで、気の置けない気軽なパーティでもできればと思ってます。固い事抜きで、自由にいろんな人と話せるような。興味のある在名の作家さん書店員さん書評家さん、ツイッターで @ohyeah1101 宛にメンション下さるか、
メールか、facebookでのメッセージかでご連絡戴ければ嬉しいです。もちろん、遠征参加も歓迎です!

 てか、何がネックってあんた、作家も書評家も「名古屋出身」てえ人は何人もいるんだが、そのうちどなたが「名古屋在住」なのかが分からんのだよなあ。これまでホントにミステリ系としか付き合ってなかったからなー。その辺の情報収集からせなかんでいかんわ。

消えた町名

 CBCラジオ「多田しげおの気分爽快!朝からPON」に出演の日。
 今日紹介したのは、今尾恵介の
「消えた駅名 駅名改称の裏に隠された謎と秘密」(講談社+α文庫)でした。なんか思わせぶりな副題だけど、そんな禍々しい事情のものはありません。ごく普通に納得できる理由ばかり。町名変更とか、戦時中の事情とか、縁起が悪いとか、商売魂とか、聞き間違えるとかね。
 でも、ひとつひとつ見てると、いろんな歴史が見えて面白い。

 でもって今日ラジオで、「町名変更で消えてしまった町の名前が、駅名には残っている」例として挙げたのが、名古屋市営地下鉄東山線の「伏見」駅。
 これ、あたしは本書を読むまで知らなかったんだけど、今は
「伏見」っていう地名は存在しないんだってね。友人と飲み会の相談をするときなんかにごく普通に口に出す「長者町」も「矢場町」も、今はないんですってよ奥さん! あのあたりは全部、昭和四十年代に栄○丁目とか錦○丁目とかに変わったのだそうだ。

 伏見界隈──いや、伏見町だったところ界隈を歩いてると、交差点の名前に「広小路長島町」だの「広小路桑名町」だのと三重県の地名と同じ名前がついている。名古屋に嫁いできた当初から「このあたりは三重と何か関係が?」と不思議に思って、調べてみたことがある。
 予想通り、信長の時代に三重から来た人々が住み着いた場所で、自分の故郷の名前を町につけたのだそうだ。もちろん、桑名町も長島町も、今は交差点の名前だけ。そういう歴史まで消えちゃうのはもったいないっつーか、でも交差点の名前だけにでも残って良かったっつーか。

 伏見も矢場町も、今は存在しない町名だけど、駅名には残ってるわけで、これは大事にして欲しい。あ、栄も昔は「栄町」だったそうだ。辻真先さんが何かのエッセイに書いていたが、辻さんは「栄町」のご出身で、それは今の「栄」とはまったく別なのだとおっしゃっていた。そもそも指すエリアが違うんだものなあ。伏見も矢場町も今は「栄」なんだから。
 名鉄瀬戸線が都心乗り入れを果たした時、駅名が「栄町」になったのは市営地下鉄との区別のためだろうけど、あの名前を懐かしく聞いた人もきっと多いのだろう。

 そう言えば、名古屋の地名で面白いなあと思ったのは
「名駅」。名古屋駅周辺の地名なんだけど、駅の略称をそのまま地名にするって、何だそれ(笑)。駅ができたのがよほど嬉しかったんだろうか。東京や大阪で東駅・大駅なんて地名、ないもんなあ。

 もちろん「名駅」という名前ができたのは名古屋駅ができたあとだそうで(そりゃそうだ)、それまでは「堀内」とか「笹島」とかだったらしい。あ、「笹島」は今もあるか。……あるよな? ……(調べている)……げっ、無いわ。
「笹島」という地名も、今は交差点名と駅名だけなのかー。うわあ。

 とまれ、名古屋駅ができたので「名駅」という地名をつけたという発想は、その善悪はさておき、興味深い。と思って気がついた。
町の象徴をそのまんま地名にすると言えば、豊田市がそうじゃないか! 挙母(ころも)という由緒ある地名があったのに「世界のトヨタ」があるからってんで市の名前をまんま会社名からとったという……。そう言えば、すったもんだでボツになったが、南セントレア市なんていう案もあったっけ。つまりこれって愛知県民の県民性なのか? そうなのか?

「蛻」と尾張藩

 
 直木賞候補作、犬飼六岐「蛻」を読む。びっくりした。
 いやあ、この設定、江戸時代を舞台にした特殊状況のクローズドサークル、しかも連続殺人じゃないか! めちゃくちゃ本格設定だがや。本編はフーダニットよりも閉鎖状況での人間模様がメインになってて、それはそれでもちろん読み応え満点だったのだが、同じ設定で誰か本格プロパーの人が書いてみないかなあ。

 話は、八代将軍吉宗の時代──というより尾張藩主が徳川宗春だった時代。尾張藩の江戸下屋敷の敷地内に実在したという、「宿場町をリアルに再現した観光スポット」で殺人事件が起きるというもの。将軍家や大名家の接待のために、「下々の者が暮らしている様子をリアルに見物できる」という場所を作ったんだそうだ。
 そこから先の本書の設定は著者の創作だろうが、
尾張藩下屋敷の庭園にこういう「宿場町&町民生活再現」趣向があったのは事実のようで。つまり、これってテーマパークじゃないか。

 作ったのは二代藩主・徳川光友公。……何考えてたんだろうこの殿様。尾張の殿様と言えば、風雲児・宗春がその放埒且つスットンキョーなキャラ&悲運で有名だけど、どうしてなかなか二代様も数奇者でいらっしゃる……。自分ちの庭に、日光江戸村や志摩スペイン村を作るようなもんだぞ。

 この庭園については、小寺武久
「尾張藩江戸下屋敷の謎 虚構の町を持つ大名庭園」(中央公論新社)という本が出ているようなので、とりよせ──ようとしたら品切れだった。読んでみたいなあ。「蛻」が直木賞をとったら復刊されたりしないかしら。

 と言いつつ、あたしの予想は道尾秀介
「月と蟹」(文藝春秋)の一点買いなんですが。木内昇「漂砂のうたう」(集英社)も期待はしてるんだけどなー。木内さんはとてもステキな新選組小説を書かれた方なので、個人的に応援しております。

 ところで、もしあたしが大富豪で自宅の庭にこの手のものを作るとしたら──ジャニーズの合宿所か、昇竜館かな。いや、どっちも中身が好きなんだから、建物じゃ意味ないわ。

やりたい仕事

 扶桑社ミステリーが90年代前半に出した印象的なアンソロジーがある。「ウーマン・オブ・ミステリー1」「同2」の2冊だ。すでに流通してなくて、楽天ブックスには商品ページすらないというテイタラクなので、Amazonにリンクしたけどもさ。書影もないので手持ちのを撮ってみた。こうしてみると、シリーズとして装丁を揃えようなんてまったく考えてなかったのだなあと。

 で、このアンソロジーはいわゆる「3F小説」──女性作家が書いた、女性が主人公の、女性読者向けの作品を集めたもの。Fってのはfemaleの頭文字ですね。
 あたしは、大好きなショーン・ヘスのマゴディ町ローカル事件簿シリーズ(訳出の続きを熱望!)の短編が収録されてると聞いて取り寄せたんだが、その他の書き手もすごいのよ。メアリ・ヒギンス・クラーク、サラ・パレツキー、フェイ・ケラーマン、アマンダ・クロス、ルース・レンデル、ギリアン・ロバーツ、S.J.ローザン(リディア&ビルですよ奥さん!
「夜の試写会」にも入ってないやつですよ!)などなど、錚々たる顔ぶれ。どうして品切れのままなんだろうなあ、もったいない。

 小説としてのタイプは多岐にわたってるけど、いずれもミステリ。ヒロインには警官もいれば私立探偵もいるし、キャビンアテンダントに海兵隊員、そして主婦、キャスター、教師。コージーもあればスパイ物もあり、サスペンスもロマンもある。百花繚乱とはこのことだ。

 そしてどの作品も、舞台やジャンルは違えど、ヒロインがそれぞれ自分の筋を通そうとする物語であるところに注目。いろんな意味で〈強い女性〉が描かれている。すべてがそうとは言わないけど(サイコサスペンス的なものやブラックなやつはちょっと違うから)、自分の持ち場をしっかりと守る女性たちが生き生きと描かれている。それも「フィクションのヒロイン」ではなく
生活者としての女性。国が違っても、職業は違っても、みんな同じだよねという気持ちになる。登場人物にエールを送りたくなり、そして登場人物からエールを貰える、そんな〈女性による女性のための〉アンソロジー。

 どうしてそんな20年も前の文庫の紹介をしてるかというと──
こういうのが読みたいのに、日本にはないのよ! 以前、光文社文庫で山前譲さんが編まれた「女性ミステリー作家傑作選」があるけど、あれは「日本にはこんなに素晴らしい女性作家がいるんですよ」というところにフォーカスされたもので、〈女性読者のための女性の物語〉ではなかった。なぜかサイコなものが多かったりしたし。

 日本にはなかなか系統だった「コージー」というジャンルは根付いてないのが現実だけど、書き手はいるのよね。作品もあるのよね。あ、コージーって言葉を使ったけど、それだけじゃなくて、サスペンスや警察小説、本格まで入れてもいい。要は、
読者が自己投影できるような、読者がロールモデルにしたくなるような、生活者として描かれているヒロインで、寝る前に一編ずつ読んで「たいへんなことはいろいろあるけど、明日も元気に頑張ろう!」と思えるような作品で、それでいてミステリとしてもレベルが高いもの。そういう作品を集めた女性読者のためのミステリ・アンソロジーって、読みたくない?

 てなことを
ツイッターに書いたらば、思いのほかたくさんの反響を戴いて驚いた。多いんじゃん読みたいって人! 思えばヴィレッジ・ブックスやRHブックスのコージーだのロマンティックミステリだのって、けっこうな固定読者がついてるんだよね。いわゆる〈読書マニア〉とは層が違うから大きな声にはならないだけで。女性向けの、気軽に読める短編集で、でも中身はしっかりしたものって、需要がありそうじゃないか。

 これはやりたい。編みたい。編みたいなあ。編みたいと網タイツはちょっと似てる。そんなこたあともかく。ツイッターやメールで「出してください」という声をたくさん頂戴したのに気を良くしたものの、出してくれるところがないと話にならないので、ちょっと働きかけてみようかと思います。あ、ここにも書いておこう。「ウーマン・オブ・ミステリー日本版」に興味のある編集さん、いませんか?

 なお、
「ウーマン・オブ・ミステリー1」の編者であるシンシア・マンソンさんは、他にも「本の殺人事件簿I」「同 II」というアンソロジーを編まれていて、こっちもあんた、本にまつわるミステリというお好きな方にはたまらないテーマで、しかも書き手がマイクル・リューインだのマーガレット・マロンだのセイヤーズだのレンデルだのローレンス・ブロックだのプロンジーニだのマイクル・イネスだの、これもまたお好きな方にはたまらないラインナップで、つまるところ、何から何までお好きな方にはたまらないアンソロジーなのだが、品切れです。ぐすん。
 こうしてみると、シンシア・マンソンさんて、いい仕事してるなあ。羨ましい。他にも猫ミスやクリスマスミステリーのアンソロジーも編んでいるとのこと。

緊急時に慌てない理由

 一昨日の日記を読んだ方から「なぜそんなに落ち着いて対応できるんですか」というメールを頂戴した。
 
拙著にも書いたけど、まずは阪神大震災の経験が生きてるってこと。でもそれだけじゃない。
 「読書」の功績が大きいよ。
 本を読むってことは、他人の人生を追体験するってことだから。本の登場人物がとった行動は、すべて自分の疑似体験となる。「こういうときは、こうするのか」という実例が、無意識のうちにどこかに蓄積されるんだと思う。
 あ、読書はもちろん純粋に楽しむためのものです。でも結果として、知らず知らずのうちにいろんなシミュレーションをしているってことになるのね。

 そこでこれを紹介しておきましょう。
日明恩『ロード&ゴー』(双葉社)
 救急隊員たちが〈救急車乗っ取り〉という事件に巻き込まれるサスペンス。日明さんらしく、〈お仕事小説〉としての情報も満載で、救急隊がどんな仕事をしているか、裏側はどうなってるか、患者にどう対応してるか、通報者に求められるものは何かということが、いろいろ出てきます。
 ああ、くれぐれも誤解しないで戴きたいんだけど、別に啓蒙書じゃないのよ。手に汗握るジェットコースター・サスペンスで、話の展開が意外性に満ちていて、めちゃくちゃ面白い小説。ただ、これを読んでおくと、かなり役に立ちます。そして救急隊員の皆さんに敬礼したくなります。

 
拙著に書いた言葉を再掲。「知識は力」です。知識があるってことは「どうすればいいか」の答(あるいはヒント)を持ってるってこと。パニクりそうになったときに「まずこれをしよう」っていう行動指針があるのと無いのとじゃあ、ぜんぜん違うのさ。

 ……まあ、そんなあたしも、運転してて車線変更間違うとめちゃくちゃパニクるけどな。車線変更小説って誰か書いてくんないかしら。

 あ、お仕事も告知。お仕事した雑誌が昨日届きました。

 
「asta*」2011年2月号(ポプラ社)で、
 
小路幸也『ピースメーカー』のレビューを書いてます。

 伝統的に運動部と文化部がいがみ合っている中学校が舞台。その架け橋となるべく奮闘するふたりの放送部員が主人公です。連作集でそれぞれに魅力があるんだけど、舞台が1974年ってえのがイチイチ懐かしい。細かい小道具の使い方が巧いんだよねえ。自分の中学時代のお昼の校内放送を思い出し、その流れのまま、中学のあの教室のざわめきや、窓から入る光の具合や、上履きで廊下を走ったときの足の感触といったものが思い出されてくる。

 善くも悪くも、鷹揚な時代だったよねえ。先生方も、職員室で当たり前のように煙草吸ってたしね。
 発売は1月13日だそうです。

お薦めの箱根駅伝小説

 旧サイトの頃から長年ご覧戴いている方々から、「カテゴリだのタグだのよりやっぱりリストでしょ五十音順でしょアナログ上等でしょ!」というリクエストを受け、書評のページのサイドバーから書評一覧に飛べるようにしました。でもリニューアル後にアップしたなまもの書評はほんのちょっとだけなので、一覧にするとかえって寂しい……。こうしてみると、旧サイトの書評リストは我ながらバカじゃないかってくらいの量があったんだなあ。数だけは。どんな低レベルでも続けるってすごいことなのね。

 さてお正月はだらだら過ごしてます。やっぱ箱根でしょ。若い頃は「かっこいいお兄ちゃんたちが走っている」という目で見ていたものが、今やすっかり息子を見る目になっている。今年は途中でフラフラになって「もういいから、誰も責めないから止まって!」と言いたくなるような辛い場面がなくて、最後までエキサイティングでいいレースでございました。

 ところで、ニュースで箱根駅伝の映像が流れる度に、早稲田の子に「そこ滑るから気をつけて!」、国学院の子に「そこ道違うから気をつけて!」と声をかけてしまうのはあたしだけだろうか。そして何度注意しても同じ場所で転び、同じ場所でミスコースする彼らに「だから言ったのに!」と本気で怒っているあたしはまぎれもなくおばちゃん。

 それにしても箱根は、フジのフィギュアスケートやTBSの世界バレーのような、芸能人つれてきてお祭り騒ぎ的中継をしないのがいいね。ムダな煽りやお涙頂戴も殆どない(まったくないワケじゃないが、許容範囲)。スポーツはそれだけで充分ドラマティックなのだということを証明しているよ。さすが日テレは、スポーツ中継には一日の長がある。

 さて箱根駅伝と言えば思い出すのがこの5作。

  10130151  10116758  16777101
       
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 書影をクリックすると楽天ブックスの書誌データに飛びます。
 安東能明
「強奪箱根駅伝」(なまもの書評にリンク。以下同じ)はサスペンス、三浦しをん「風が強く吹いている」は青春&友情小説、桂望実「Run! Run! Run!」は青春&家族小説、堂場瞬一「チーム」はスポーツ小説、そして黒木亮「冬の喝采」は成長小説といった感じでしょうか。あ、「冬の喝采」だけ書評書いてなかった。つ、痛恨……。

 ベクトルの違う5作だけど、いずれもレースの描写が実に素晴らしい。タイプが違う分、最低でもどれか1冊はお気に召すのでは。特に、青春スポーツ小説というくくりで語られがちな箱根駅伝を「中継する側」の視点でサスペンスに仕上げた
「強奪箱根駅伝」はミステリ者なら一読の価値ありですよ。 

TBSラジオ「dig」を聞く

 昨夜、TBSラジオのdigという番組を初めて聞いた。
 毎日何かひとつニューストピックスを取り上げ、それについて深く掘り下げるという番組だそうだ。dig=掘る、ってことですね。

 大森望さんが出て
「KAGEROU」及び文学賞について話すというので、ポッドキャスト探したりネット見たりしてたんだが、CBCでやってるとツイッターで教えられ、がっくりと膝をつく。だって知らなかったんだもんっ。

 展開としては、番組パーソナリティの大西さん(男性)が貶し役に回り、大森さんがそれを否定したり肯定したりしながら、小説の読み方や新人賞のあり方にはいろんな基準があるのだよ、という方向に持って行くという感じ。
 大森さんの
「KAGEROU」評はツイッターでしか見てなかったけど、それでも「叩く」というスタンスではないことは分かっていたので、安心して聞けた。

 「よし!」と思ったのは、番組パーソナリティの水野さん(女性)が「ポプラ社小説大賞ってどんな賞なんですか」と訊いてくれたとき。そうよそれが大事なのよ、と。あれで大森さんが賞の特性をちゃんと紹介できた。これは大きい。
 叩く側も、「読んだけど面白くなかった」という言い分ならそれは正直な感想としてアリだけど、「賞をとるのはおかしい」と言うからには、どういう賞なのか、どういう作品が過去に受賞してるのか、そういうところをちゃんと踏まえてからじゃないと言えないはずだもの。

 あと「ダジャレが寒い」という見当ハズレの批判についても、ちゃんと触れてくれたのは溜飲が下がった。別に著者のダジャレセンスが悪いんじゃなくて、「寒いダジャレを言うキャラクタ」として造形されてるんだよ、だから当然なんだよ。当然のことなのに、あれを見て著者のダジャレセンスを云々するって、よほど普段、小説というものを読み慣れてないんだろうなあ。読み慣れてないのに批判するってのもわからん。

 それにしても、「挫折を味わってるから」「奥さん難病で」「帰国子女で中学まで日本語が巧く使えなかった」みたいな著者の情報を前提に作品が読まれるってのは、有名人の場合は仕方ないとは言え、小説にとっては不幸な話だよな。
 世に出てるほとんどの小説は、なんらかの形で著者の来し方が現れてるものでしょう。でも読者はそんなことは知らないし興味もないので、そこに描かれた物語を自分に引き寄せて読むことができる。感情移入し、自分だったらと想像し、ドラマに入ることができる。

 でも
「KAGEROU」の場合、おそらく読み手は病気の少女アカネちゃんに絢香さんを重ねるだろう。
 機械に繋がれ、それを離れることは死を意味すると知りながらも、そのくびきを解こうとする主人公に、読み手は事務所を離れた著者自身を重ねるだろう。

 水嶋ヒロが好きで、彼に興味があって本書を手にした人にとっては、だから格好の題材とも言える。けれど小説としては、これはちょっともったいない読まれ方。そして「物語が好きな読者」にとっても、これは残念なことではないかしら。

KAGEROU騒ぎ

 CBCラジオ「多田しげおの気分爽快!朝からPON」に出演、「KAGEROU」を紹介する。

 本来なら、前もって読んだ本の中からあたしが「勧めたい、広めたい」と思ったものを紹介するコーナーなんだが、やっぱこのタイミングならリスナーが知りたいのは
「KAGEROU」だろうと。だから今日、「KAGEROU」を紹介することは出版前から決まっていた。もちろん「出版されたものを読んで、つまんないと思ったら変えますよ」とは断っていたけども。

 で、読んだわけですよ。軽くドキドキしながらね。
 結論から言えば──悪くないじゃん。けっこうなもんじゃん、これ。
 正直、コアな読書好きには物足りないだろう。でも普段は読書の習慣がなくて「水嶋ヒロの本だから」という理由で買ったってな層には、まさにうってつけじゃないかと。あと、中学生高校生とか。

 とっつきやすい。わかりやすい。するする読める。メッセージはストレートだけど、展開にはちょっとした仕掛けもある。ついでに字がでかい(笑)。ストーリーもキャラクタも無理に背伸びせず奇を衒わず、力の届く範囲内で堅実に書いたことが功を奏してる感じ。
 それに、いくらでもスタイリッシュな舞台設定は作れるだろうに、敢えて著者のイメージからはかけ離れた「くたびれた中年サラリーマン、二言目には親父ギャグ」というキャラを持って来たってだけで、なんかね、「ほう」という気がしたのだった。
 文芸作品として絶賛とか激賞とかってレベルではない。でも「姪っ子のクリスマスプレゼントにいいかも」と思える。うん、これなら、ラジオで紹介してもいいんじゃね?

 ただ、発売になった日のワイドショーはすごかったね。午前0時と同時に売り出す書店、並ぶ客。ボジョレー・ヌーボーか。

 それにしても、テレビやネットを見てると、話題の持って行き方が変だ。
 「作家になりたいなんて夢みたいなこと言って、すったもんだの挙げ句に俳優を辞めた水嶋ヒロがホントに小説書いて、しかもそれが賞をとったよ。そんなうまい話ある?」ってんで騒いでるんだろうけどさ。
 あのね、ノーベル文学賞や直木賞をとったわけじゃないのよ。こう言っちゃなんだが、いち出版社が、素人向けに公募してるイベントなのよ。公募新人賞なんてそりゃもうたくさんあって、毎年たくさんの新人賞作家が出てるの。その中のひとりに過ぎないの。
 そしてたくさんいる新人賞受賞者の中から、2作目、3作目も評価されて、息の長い職業作家になれる人ってのは、ホントにホントに一握り。受賞作は素晴らしい評価を受けたけど後が続かなかった人もいれば、受賞作の扱いは地味だったけどその後大化けした人もいる(そういう光る前の原石を発掘するのも新人賞の目的)。
 齋藤智裕さんは、やっとそのスタートラインに立ったというだけなのだ。素人として書いた物語が存外評価されたが、今後はプロの仕事が要求される。勝負はこれから。今のこの段階で何を騒ぐことがあるかと。

 劇団ひとりの
「陰日向に咲く」はちょっと驚いたくらいよく出来た小説で、「劇団ひとり、才能あるなあ」と思わされた。しかしその才能をもってしても、2作目以降は最初ほど話題にならない。齋藤智裕にも、おそらくは同じ試練が待っている。彼が本物かどうか分かるのは、その後の話でしょう。

 それにしてもネガティブな意見を言ってる人(しかも出版業界以外の人)って、過去のポプラ社小説大賞受賞作を読んでるのかな?
「削除ボーイズ0326」「Rocker」と比較して、あまりにレベルが違うとなれば議論の余地もあるだろうが、だいたいこの賞は若い人向けの、ストレートにメッセージが伝わるような間口の広い作品が受賞してるんだから。そんな賞の主旨に合ってるんだよ、「KAGEROU」は。

 ありとあらゆる層の40万人が読んで、その40万人全員が等しく満足する小説なんかありませんわよ。村上春樹にだってアンチはいるし、東野圭吾や宮部みゆきを読んで「意味がよくわからなかった」という読者だっているんだから。
 だからあたしが書評家として出来ることは、
「KAGEROU」を否定することではなく、どういうタイプの読者に向いてるか、どういうふうに読めば面白さを味わえるか、それを知らせることだと思ってる。まあ、そのスタンスは今回に限らず、何を取り上げるときでも同じなんですが。

 今回、齋藤智裕ならぬ水嶋ヒロってのが前面に出るのは、著者本人としてはどう感じてるかはわからないけど、少なくともその効果で、書店に足を運ぶ人が激増した。ある書店員さんのツイートによると、
「KAGEROU」以外の本の売り上げも伸びたそうだ。つまり「本屋で本と出会う」という体験をした人が、それなりの数、いたということ。これはすごく嬉しいことじゃない?

 あと、蛇足ながら。
 普段、小説なんか読みもしないし興味もないくせに「水嶋ヒロの小説大賞って、どうなのあれ」と斜に構えたことを言う人を見たとき、なんか既視感があった。ちょっと考えて思い至った。あれだ。歌舞伎なんか見たこともないし興味もないくせに「海老蔵ってどうなの」と訳知り顔でコメントする人と似てるんだ。

この本格ミステリベストがすごいのが読みたい!

 宝島社「このミステリーがすごい!2011」と原書房「2011本格ミステリベストテン」が同時に届いた。前に頂戴していた早川書房「ミステリが読みたい2011」週刊文春12/9号を合わせて、投票したランキング本はこれでぜんぶ出そろったことになる。
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 さてこの4つに投票したラインナップだが、その内容は必ずしも同じではない。本格ミステリベストテンの場合はより狭義での投票になるので当然だが、「早ミス」「このミス」「文春」でも微妙に違う。
 「早ミス」と「このミス」は投票〆切に1ヶ月の差があるので、「すすすすみません、これ取りこぼしてました!」というのを「このミス」で救うというケースがあるわけだ。そして更に「文春の読者はおじさんが多そうだから、女性向けコージーはやめとこうかな」みたいな匙加減が働いたりする。

 どっちにしろ、今年読んで面白かった本が5〜6冊だけってわけはないので、4つの媒体を使うことでできるだけ多くの作品を取り上げられればいいかな、と思っている。もちろん「ベストが時と場合で変わるなんておかしい」という考え方もある。それはそれで正しいと思う。が、まあ、あたしの場合は「AとB、どっちも捨てがたいから、このミスと文春で1票ずつね」みたいな考えをとってる次第。

 その結果、4つのどれかに投票したってのをざっくり順不同でまとめると、以下の通り。これがあたしの今年のお薦め一覧と思って戴いてOKよ。

 国内編は初野晴
『空想オルガン』、京極夏彦『死ねばいいのに』、坂木司『和菓子のアン』、門井慶喜『血統』、石持浅海『この国。』、七河迦南『アルバトロスは羽ばたかない』、日明恩『ロード&ゴー』、樋口毅宏『日本のセックス』、水生大海『かいぶつのまち』、本城雅人『スカウト・デイズ』、三津田信三『水魑の如き沈むもの』、大崎梢『背表紙は歌う』、海堂尊『アリアドネの弾丸』、有栖川有栖『闇の喇叭』、綾辻行人『Another』というラインナップ。あ、昨年10月刊行のが入ってるのは「早ミス」だけ対象期間が違うせいです。

 海外編は重なってるものが多く、マーガレット・デュマス
『上手に人を殺すには』、S.J.ローザン『夜の試写会』、カミ『機械探偵クリク・ロボット』、アラン・ブラッドリー『パイは小さな秘密を運ぶ』、ヘレン・マクロイ『殺す者と殺される者』、イアン・サンソム『蔵書まるごと消失事件』、サイモン・カーニック『ノンストップ!』、オットー・ペンズラー編『ポーカーはやめられない』、ジェフリー・ディーヴァー『ロードサイド・クロス』、ナンシー・マーティン『億万長者の殺し方教えます』、スペンサー・クイン『ぼくの名はチェット』、ボストン・テラン『音もなく少女は』、ポール・アルテ『殺す手紙』、コリン・ホルト・ソーヤー『メリー殺しマス』、ジョン・ハート『ラスト・チャイルド』でした。

 あれが入ってないじゃないかという大物がいくつかありますね。普通、『ファージング』と『愛おしい骨』と『陸軍士官学校の死』はどっかに入れるってもんだろ、なあ? でも敢えてそれらをはずしてでもコージーを詰め込みたかった乙女心なのさ。あと、なまもの書評にリンクしようとしたら殆ど書いてないことに気付いてひっくり返った。来年からは心を入れ替えて書きます。書きますとも。

 という規準でいずれも国内編・海外編両方に投票したわけだが──ありゃりゃ? 
「2011本格ミステリベストテン」で海外編、投票したはずなのにあたしのアンケートが載ってないぞ? とツイッターに書いたらば担当の編集さんからソッコーで「漏れておりました申し訳ありません」とメールが来た。わはは。本ミスで投票したのはキネクシスとか化学少女とか読者リクエスト3位の新訳版とか新装版ポケミスの黒いやつとか機々械々とかです。<わかるね?

名古屋オフ忘年会(煩悶編)

 さて、前回のレポでは「辛い辛い」としか書かなかったが、ちゃんと恒例の今年のベスト本発表や本の交換会も滞り無く行われたことを、ここに記しておかねばならない。

 ところで、あたしは毎回、メモも何もとらずに皆の挙げたベスト本を覚えて日記に書くというワザを披露してきたが、今回は脳味噌のいろんな箇所に山椒と唐辛子が挟まって、思い出そうとするとコメカミのあたりが辛くなるのだ。なのであきらめた。ただ、拙著
『脳天気にもホドがある。』を挙げてくださった方がいたことだけは覚えている。気遣いは大人のマナーですね。
 ちなみにあたしは初野晴
『空想オルガン』を挙げる予定だったが、あまりの辛さに脳が死に、激辛麻婆茄子が大事な小道具になっている日明恩『埋み火』に急遽変更。あたしが解説書いてますのでどぞよろしく。

 一方交換会はと言えば、道尾秀介『月と蟹』や海堂尊『アリアドネの弾丸』といったベストセラーあり、『ベルサイユのばらカルタ』という飛び道具あり、『マンガで読破・黒死館殺人事件』あり、「参加者は女性が多いので、稲見一良の文庫『男は旗』を持ってきたよ」という、どう考えても逆だろというセレクトあり。──ああ、これも思い出そうとすると脳から山椒の臭いが立ち上って思考が中断される……。あ、あたしは狙っていた『ベルばらカルタ』を奪われてしまったので、京極夏彦トリビュートのアンソロジーをゲットしましてよ。

 まあ、交換会が始まった初期のように「名古屋市政だより」だの「ディノス通販カタログ(期限まで残り1週間)」だの「宮部みゆきの『クロスファイア』上巻だけ」だの、どう考えても自宅の本棚の掃除目的だろうというようなラインナップに比べると、供出本には格段の向上が見られるということは確かだ。今にして思うが、なんで当時はみんなしてあんな嫌がらせのような交換会をしてたんだろうな。その次から「通販カタログと電話帳は禁止」というワケのわからない決まりができたほどだったぞ。

 それにしても今回のオフは1次会はもちろん二次会でも三次会でも本の話がほとんどなかった。これもまた珍しい。あたしは「これはミステリファンのオフである」ということを忘れさせないため、「電子書籍ってけっこう使い勝手いいよね」とか「あの作品の続編はどうですか」とか頑張って本の話を持ち出していたのだが、どれも3秒で終わってしまった。「それほどまでに議論を呼ぶような作品がなかったってことだよ」とは太田さんの弁。

 まあ、いわゆる「ミス研」出身者が集うようなオフじゃないからな。そもそも名古屋にはアクティブなミス研てえのは、(昔は)無かったと言うし。そう思えば、そんな土壌でよくこれだけのメンバーが集ったものだと思えなくもない。
 ただ、軽くショックだったのは、「今年のベスト本を発表するとき、『あんまり読めてないんですが』って言う人が何人かいたけど、だいたい何冊くらいだったら『読めてない』と思うの?」といういつみの質問に対し、複数の人が「1ヶ月に1冊しか読んでないと、読めてないかな」と答えたのだ。
 まがりなりにもミステリファンが集まってる筈のオフで、そ、それはあまりに少なくないか……。

 本、読もうよ。楽しいよ。
 
 あ、それを伝えるのがあたしの仕事なわけか。そうか。

鳥飼否宇さん来名

 『官能的〜4つの狂気』(鳥飼否宇・原書房)という本格ミステリがある。
 架空の都市・綾鹿市を舞台に起こる殺人事件とその謎解きが詰まった連作短編集で、バカミスすれすれに見えて実はけっこう緻密に練られたトリックや、シモネタすれすれに見えて実はすれすれどころか力一杯シモネタの、なんつーかその、薦める相手を非常に選ぶ、著者の名物シリーズのひとつだ。
 シモネタというだけで、苦手、と感じる人もいるだろう。ただ、たとえあなたがシモネタ嫌いであっても、あるいは本格ミステリというジャンル自体に興味がなかったとしても。

 
中日ファンなら、『官能的』は読んでおくべき本である。

 言っておくが野球小説ではない。野球のヤの字も出てこないし、ドラゴンズのドの字も出て来ない。それでも中日ファンが読めば、「ああ、これはドラゴンズ小説だ!」と納得していただけると思う。ちなみに本書を読んだときの、あたしの感想は
こちら

 さて、そんな小説を書かれた鳥飼否宇さんはもちろん中日ファンである。現在、奄美にお住まいなのにも関わらず、なんと6日の日本シリーズ第6戦を見るべく来名されたのだ。となればもちろん、歓迎の宴を開くべきであろう。
 本来なら名古屋城の天守閣を借り切って酒池肉林の盛大なパーティを催すべきところだが、鳥飼さんと会えるのが7日の夕方というのがネックになった。連絡をとり合った時点ではまだ7日に試合があるのかどうか分からなかったからだ。試合がないのなら大パーティも可能だが、あるとすればそれは最終戦、つまり勝った方が日本一という試合になるはずで、だったら飲んでる場合じゃあるまい?(もちろんこの時点では7日の試合があんなことになろうとは予想もしていない)

 結局、7日の試合がどうなるかは6日が終わらなくちゃわからないため、名古屋城は断念。「野球が無ければナンボでも飲むが、あるなら早めに帰る」という臨機応変な対応が可能の、在名の同業者にして中日ファン限定の迎撃となった。参加者は
太田忠司さん、水生大海さん、そして鳥飼さんとあたし。

 夕方4時過ぎに鳥飼さんお泊まりのホテルに集合。鳥飼さんとは全員初対面ではあるが、互いの著作を通じて知っていたということもあり、何はなくとも「何ですか昨日の6時間試合は!」という共通の話題であっという間に打ち解ける。
 予約していたダイニングカフェに場を移し(ここがまあ訳の分からない
真っ暗な店であった)、中日の勝利を祈って乾杯。今、完敗という嫌がらせのような誤変換をしやがったことえりに10分悪態をついたところだが、まぁそれはそれとして、仕事の話、本の話、野球の話、そして「なんで奄美なんですか」「虫が好きだから」ってな話、「こないだマダガスカルに行かれたそうですね」「虫が好きだから」ってな話、「会社をやめて専業作家になろうと思われたのは何がきっかけですか」「虫が好きだから」ってな話、てか、どんだけ好きなんだ虫。たぶんあたしと虫が溺れていたら、鳥飼さんは間違いなく虫を助けるだろう。

 あたしが大学時代を過ごした町と鳥飼さんの故郷が同じで、しかもかなり近所だったことに驚き、「旦過市場のとこに出る屋台って、おはぎがありましたよね」だの「守恒のニチイの坂を降りたところにあったスーパー、何て名前でしたっけ」「アピロス」というローカルにもホドがあるような話題(分かる人だけ分かってください)で局地的に盛り上がったり。

 そうこうしてる間にプレイボールの時刻となる。勝てば明日があるし負ければ終わりってことで、「プレイボールから見なくちゃ!」という切羽詰まった気持ちはないとはいえ、6時を過ぎると4人が4人ともまるで打ち合わせたかのようにモゾモゾし始める。「わ、ワンセグ入らないっ」「吉見対俊介だよね、たぶん」「とりあえずネットの速報を」「ナゴヤドームの俊介なら打てない事はないと思うんだけど」……「あ、先制されてる」「ええっ!」「あ、でも裏にすぐ取り返してる」「おお!」

 ……まあ、その顛末はどうであったかは、「勝ってるねー」「リードしてるねー」「安心だねー」と言い合ってそれぞれ帰途についた4人が、帰り着くなり声を揃えて
「どゆこと?!」とツイッターで叫んだ、とだけ書いておきましょう。しくしく。

 とまれ、たいへん楽しゅうございました。次回は野球の時間に縛られることなく、もっとゆっくりじっくり飲みましょう鳥飼さん……って、野球見に名古屋に来るんだからそれはハナから無理な相談か。では来年は、56年ぶりの完全制覇及び昌の日シリ初勝利の美酒をご一緒できることを願っております。

朝ドラのヒロイン像

 特に朝ドラマニアというわけではないが、放送がちょうど朝食の時間と合うし、他局のワイドショーや情報番組に興味がないので、なんとなくずーーーーっと朝ドラを観ている。
 でもってゲゲゲに変わって、今日から「てっぱん」。番組が始まってすぐの、ヒロインの紹介ナレーションで「来たか……」と思った。

 〈思い込んだら一直線〉

 うわあ、またこのパターンかよヒロイン。
 昔からなんだが、どうして朝ドラのヒロインには「自分が常に正しくて押し付けがましい一直線キャラ」が多いんだろうなあ。「てっぱん」は今日から始まったばかりだからまだ断定はできないけれど、それでも、見知らぬ老婦人がトランペットを海に捨てるのを目撃したヒロインが海に飛び込み「トランペットが可哀想」「音楽の神様のばちがあたる」とタメ口で怒るシーンには、正直げんなりした。
 普通、知らない人──しかも年輩のご婦人がそんなことをしてたら、何か事情があるんだろうとは思わんか? それは赤の他人(まあ、実は赤の他人じゃなかったわけだが)が自分の価値観だけを基準に邪魔をして、他人の心よりも楽器の無事を重視して、自分の4倍もの年齢の人相手に初対面でタメ口で文句を言うことではないと思わんか?

 これまでの朝ドラヒロインにはそういうのが多くて、自分が納得できないことがあったり、身近な誰かが困ってる悩んでるみたいなときには「私、黙ってられない!」とばかりに東奔西走する。そういうのを元気で親切と捉えるのかもしれないけど、正直言って実在されると、すべての行動のベースが自分の思い込みに寄って立ってるので、かなり押し付けがましい。その最たるものが「まんてん」だったんだが、まあそれは当時にいろいろ書いたので割愛。

 ゲゲゲはそういう部分のない、「自分のしたいこと」じゃなくて「すべきこと」の中で日々頑張るキャラで、そこがとても良かったのに。あと、「てるてる家族」の冬ちゃんとか、「私の青空」のなずなとか。このあたりは押し付けがましさがなくて、自分のすべき世界ですべきことをやっている・守るべきものを守っている・他人に自分の価値観を押し付けないというあたりが、とても好きだったんだが。
 もしも自分の同僚や部下が彼女たちだったら──と考えたら、いくらバイタリティとやる気があっても、従来の朝ドラヒロインキャラよりは、ゲゲゲや冬ちゃんやなずなみたいなタイプの方が信頼できるよな、と思う。後者なら、少なくとも遅刻や無責任な仕事はしないと思うから。前者は、何かあったら仕事は二の次にしそうな気がする。実際、作中でそういう場面は何度もあった。

 本好き少女たちが小学校時代に通過儀礼のように読む三大作品が「赤毛のアン」「若草物語」「あしながおじさん」なのだが、あたしは「赤毛のアン」だけは好きになれなかった。「若草物語」「あしながおじさん」は今に至るまで何度も何度も再読してるほど好きだというのに、「赤毛のアン」は苦手だった。こういうやつとは友達になりたくないし、自分自身もこうはなりたくないと思ってた。
 今にして思う。赤毛のアンって、まんま朝ドラのヒロインキャラなんだよな。そりゃ嫌だわ。

 まあ、最初は「うわあ、また〈自分の気持ちが第一〉キャラかよ」と思っていた「ちゅらさん」が途中からぐんぐん変わってどんどん面白くなっていった、という例もあるので、そうなることを楽しみに「てっぱん」を観ることとしましょう。

M点灯せず。べ、別に悔しくなんかないんだからねっ!

 今日、中日が勝てばマジック3が点灯するはずだった。途中で巨人が負けたので、勝った場合のマジックは2になった。のだが。
 まあ、そう巧くはいかんわなあ。エース吉見を擁したとは言うものの、考えてみれば今までの大型連勝も連続無失点記録も、たいがい吉見で途切れてるんだから(エースなのに?)。切り替えていきましょ。それに今日は開始前から、もしかしてヤバいかなとは思っていたことだし。……それは何故かというと。

 こういう仕事をしていると、仕事で知り合った編集さんが「実は私、中日ファンなんですよー」とカミングアウトしてくる、ということが時々ある。文壇では(特にミステリ業界では)阪神ファンの勢力が強く、阪神ファンの作家さんたちが
『新本格猛虎会の冒険』てなアンソロジーを出してるし、阪神や巨人をモチーフにした野球小説は後を絶たないほどなのだが、どうしてなかなか、ドラゴンズ勢もちゃんといるのだ。ひそやかに。しめやかに。引き出しの片隅とかに。床の下とかに。中日ファンはアリエッティか。

 小説世界でドラゴンズがどう扱われてきたか、
『本の雑誌』09年7月号 にて「中日ドラゴンズ小説にエールを贈る」というテーマであたしがドラゴンズ小説を紹介してるんで、興味のある人はお読み下さい。宣伝ですねすみません。最強のドラゴンズ小説として某ミステリを挙げてます。その著者はもちろんドラゴンズファンです。

 閑話休題。
 現在、B社の文庫解説のゲラチェックをしているのだが、その担当編集B嬢もドラゴンズファンである。東京の人なのに見上げた心意気である。ただ今年は「神宮での観戦、全敗」だと言う。まあそもそも今年は神宮でまったく勝ててないので、そういう人は多いだろう。
 そのB嬢が、今日はナゴヤドームまで観戦に来るという。一人ではない。出版社の垣根を越えてドラゴンズファンの編集者2人、そして熱烈なドラゴンズファンである某人気作家の××さんも一緒だという。

 ところがこの××さん、「行くとドラゴンズが負ける」という傾向にあるらしい。
 歴史小説の大御所にしてドラゴンズファンである作家のM先生などは、先日わざわざB社の編集長に「週末の神宮に、××さんが行っていたのではないか?」と電話で確認してきたほどだそうな。
 そしてまた、B嬢と××さんに同行する他の編集者も、前述のM先生から「君も球場には行かないでくれ」とお達しが出るくらい、絶品の負け率を誇っているという。
 そこに「今年の神宮全敗」のB嬢である。こいつらが来るというのだ。今日のナゴドに。勝てばマジック点灯という正念場に、天王山に、剣が峰に、来るというのだ。なんでだ。なんでそんなことになったんだ。やって良いことと悪いことがあるだろう。落ち着いて考えてみろ。

 「だってホームゲームって憧れなんだもん」
 
 まあその気持ちは分かるけどさ。
 その話をツイッターに書くと、もうあらゆるところから「豪雨で新幹線止まれ」の大合唱。一方、阪神ファンのフォロワーさんからは「ウエルカム!」と大歓迎。実際、熱海でちょっと足止めを食らったらしいが、無事に着きやがった。

 結果は皆さんご存知の通り。どんだけパワーあるんだこいつら。
 異様な勝率を誇るナゴドですら、こいつらの負けオーラにはかなわないのか……。

 試合後、彼らは
郭源治の店で夕食を食べると言っていた。郭源治にドラゴンズ魂が残っているのなら、やつらをそのままどこかに閉じ込めておいて戴きたい。

 そして夜、B嬢からメッセージが届く。

 「日曜の神宮のチケット、入手済み」

 東京の同志よ、誰でもいいから全力でこいつを止めてくれ。
 救いがあるとするならば、××さんが同行しないことだけだ。