ラジオ出演してきた

 朝7時10分、栄着。
 今日はCBCラジオの
「多田しげおの気分爽快!朝からP・O・N」のゲストコーナーに出演なのだ。拙著の宣伝を兼ね、介護やリハビリについて話すのよ。バスの時刻の関係でかなり余裕があったので、主婦の夢である〈朝マック〉を堪能してから局に向かう。

 7時50分、局着。CBCの前には大きなウルトラマンなんちゃらが立っている。そのなんちゃらの前を通り、東玄関で守衛さんに来意を告げてしばらく待つと、
をかべまさゆきさんが迎えに来てくださった。今回の出演はをかべさんの差し金なのだ。拙著を読んで番組のディレクターやパーソナリティに、ゲスト出演を提案してくださったのである。

 ラジオ出演となると、話題や内容はともかく「おしゃべりはできる人なの?」というのが出演の可否を左右する。実はワタクシ若かりし頃にお天気お姉さんをやっており、ラジオやテレビで喋るという経験はそこそこあったのさ。いや、ホントに大昔のことですよ。まだ近所の公園に恐竜がいて、小学生は夏休みの自由研究に三葉虫の標本を作っていたくらいの大昔。でもまあそれなら、昔打った篠塚ってやつで、なんとかなるんじゃね?と局の人も思ってくださったようだ。

 8時18分、コーナースタート。
 多田さんが本の紹介をしてくださった後で、リスナーがとっつきやすいようにまずはドラゴンズの話から入ります。「昨日の試合は残念でしたね」「あれは中田君が、名古屋で2試合できるようにと演出してくれたんですよ」「中田君って、君づけなんだ」「大学の後輩ですから」「そうなんですか! えっと、北九州市立大学? あまり野球で有名な学校じゃありませんよね」「はい、ですから中田君がドラフトで指名されたときには、うちの学校に野球部があったのかという方が驚きで……」

 
介護の話はどこに?

 本の奥付の著者紹介に「座右の銘は
〈岩瀬で負けたらしょうがない〉」とあるのを多田さんが取り上げてくださったので、「それは〈万全の準備をして、最善と信じる手段をとったのであれば、それで失敗したとしても後悔はしない〉という深い意味があるのです」と返す。すると「それは病気やリハビリの話にも通じますね」と誘導してくださるあたり、さすがプロである。正直、そんなことは考えてなかったのだが。<こらこら。というわけで、ダンナの発症当時の話やリハビリの様子の話題へ。このあたりは拙著の内容とかぶるので割愛。

 ただ悔やまれるのは「リハビリで驚いたことは何ですか」と言われ、とっさに何も思いつかなかったことだ。今にして思えば、「思いつかなかった」ということ自体がネタになる。つまり、

「医者の説明だけでは正直、知りたいことがすべてわかるわけではない。だからダンナの発症直後には、とにかく脳卒中に関係する本を借りまくり、読みまくった。それで予習ができたので、リハビリで殊更驚くということはなく、むしろ状況がとても良く理解できた。知識は力です。できるだけ早く“情報収集”をすることで安心が生まれます」

 という話に持っていくチャンスだったのに──。情報収集の大切さ、言い損ねたなあ。まあ、素人判断の危険性とか、失語症というマイナーな障碍の話ができたら、いいか。
 そうそう、もうひとつ後悔したこと。ダンナは鉄道マニアで失語症でも鉄道車両の型式だけはすらすらと話せたという話題があったのだが、あたしが出たゲストコーナーは
〈暮らしに鉄分〉という名前だったのよ! うわあ、鉄っちゃん話とコーナー名を巧いこと絡められたのに本番中に思いつかなかったよー。

 20分のコーナーが終わり、御礼を申し上げて局を辞す。デニーズでコーヒーを飲んでるところに番組を終えた
をかべまさゆきさんがいらっしゃって、45分くらいお喋り。拙著2冊にサインして、共通の知り合いの近況や、本の話などに花が咲く。出演コーナーの録音CDも頂戴した。ありがとうをかべさん! ひさびさにお天気お姉さん時代の自分を思い出して楽しゅうございましてよ。

 そしてまた、この一件が次なる展開を呼ぶことになるのだが、それはまた別の話。

誕生日

 何度目の? なんてことを訊く思いやりのない子は、おばちゃん大嫌いです。

 てか本人もそろそろわからなくなってきた。隠すとか若く見せるとかじゃなくて、ホントにわかんなくなるのよトシとってくると。「こないだ、何かの書類に45歳って書いたよな」という記憶はあっても、それが去年のことか今年のことか思い出せないので、何の参考にもならない。現在、少なくとも45歳未満ではないということがわかるだけだ。

 とまれ、今年が2010年でー、生まれたのが1964年だからー、0から4は引けないからー、10借りてきてー、みたいな計算をしないと自分のトシがわからないという状態。「そんなアホな」と思う若い嬢ちゃん坊ちゃんも、40過ぎたらわかるよ。
 たとえば10円玉をばらまいたとして、それが10枚そこそこならぱっと見、何枚あるかわかるでしょ。でも40枚以上になると、一目見ただけじゃ何枚あるかなんてわからないじゃん。なんか比喩が激しく違う気がするが、まあいいか。46歳から何かが解禁されるってわけでもないしさー。

 ところで、うちの母は10年以上にわたって「38歳」と言いはっていた時期があって、ある日、さすがにもう無理だと気付いたのか、急に「52歳」に変わったことがある。空白の14年間。
『スキップ』か。それからやはり10年くらい52歳であり続けた。
 それももうさすがに無理だろうが、今はいくつと答えてるんだろう。っていうか、本当はいくつなんだ母ちゃん。実の娘もわかんなくなってるぞ。

 それで以前、伯母(母の姉)に尋ねてみたことがある。少なくとも伯母よりは母の方が若干年下のはずだ。だから伯母の歳がわかれば、母の歳もおおよその見当はつく筈。ところが。
 「伯母ちゃん、歳いくつ?」とあたしが尋ねたとき、伯母は「歳? あたしの歳? あははは、あーはっはっは、ほーっほっほっほ」と笑いながら、どこかへ行ってしまった……。

 いえ、別にいいんですけどね。
 本人たちも誤摩化しすぎて、自分でもわかんなくなってると見た。

 そして誕生日が来る度に思い出す、07年のドラゴンズの日本一。
 山井→岩瀬の、あの継投完全試合はあたしの誕生日の出来事だったんだぞーふっふっふ。
 あたしの誕生日はもはや自分だけのものではない、全ドラゴンズファンの記念日になっているのだ。この日に生んでくれてありがとうお母さん。なんという先見の明であろう。

自転車チーム飲み会

 夜は雨の中、自転車チームVerdadの飲み会。
 チームジャージ配布会(破れたりサイズが合わなくなったりするので、年に一度、チームジャージの補充を行うのだ)と
拙著の出版記念会を兼ねた飲み会で、場所はチーム御用達のいつものお店だ。

 なんせダンナの発症後はいろんな面でお世話になったチームメイトたちなので、全員に献本せねばならないところなのだが、こっちの実入りがなくなってしまうので涙をのんで拙著への出演者だけに献呈。
 けれど他のメンバーも自腹で買ってくれてて(ありがとうございますありがとうございます)プチサイン会も開催。いろいろ助けてくれた上に足しげく見舞いに来てくれたS芝さんの名前を間違えたことは今日最大の痛恨事だ。もう一生、人名はひらがなで書こうと心に誓う。

 今日は、この先ダンナがひとりで外出できるよう「タクシーを使う」練習も兼ねていた。身障者用タクシーチケットとタクシー会社のカードを出せば、現金を出すことなく精算(しかも割引付き)できるので、片麻痺のダンナでも難なく利用できるシステムなのだ。
 ところが、往路に乗ったタクシーの運転手さんには「わあ、
このカード、出されるの初めてだもんでやり方わからん。現金で貰っていい?」と言われた……。大丈夫かTタクシー。

 とまれ、そんな事情なので、今日は酒も飲めるのだ。あ、いや、決して自分が飲みたいためにタクシーを使ったんじゃありませんよダンナの練習のためですよホントですよ! ただ、せっかくだから飲んでるだけですよええホントに。

 敢えてダンナからは離れて座り、気心の知れた店の人に(どれくらい気心が知れてるかというと、混んでるときに注文すると「あとで」と言われるくらい)「料理は一口大に切ってください」とお願いしてあとは放置。
 いつもうちで使ってる、滑り止め付きの箸や食べこぼしチェックの鏡や皿をずらさないためのマットなど、お助け用具一切無しでの外食。まあ困ったことがあったら同じテーブルのチームメイトが助けてくれるさと、もう徹底して完全放置。他に手があるときは任せて休むのだ。ふっふっふ。

 店内では中日がバカ勝ちしてる日本シリーズ第2戦が流れ、7点目あたりから「昨日打てー!」の大合唱。あたしはチーム監督夫人のK子さんと楽しいガールズトークに花を咲かせたのさ。ま、
更年期と肩こりと整体の話をガールズトークと呼んでいいのかは、要検討ではあるが。たいへん楽しゅうございました。