初めてのパーティ・不死鳥編

前回までのあらすじ1

 9日、爆睡して起きたら雨。
 どっかでブランチでも食べて帰ろうかー、てな相談を黒田としていたのだが、一足早く帰路についたらしい太田忠司さんのツイートを見て、慌てて予定変更。なんとなれば、
「新幹線が満席でチケットがとれない」「1時間半足止め」などと書かれてるんだもん。

 とりあえず空きっ腹を抱えて東京駅へ。「雨だし、傘ないし、タクシー使うよ!」というあたしの決断に黒田も文句は言わない。てか言わせない。そして東京駅までは1430円。これくらいなら行きもタクシー使えば良かったと改めて臍を噛んだことは言うまでもない。ぷんすか。
 東京駅に着いたらばなるほどやっぱり満席で、電源も無線もない700系の喫煙車両しかとれない。それでも背に腹は代えられないので、取れる中で最も早いチケットをとり、弁当を買って車中の人となる。

 名古屋には午後1時着。名駅近くのスーパーで買い物をして2時頃帰宅。
 「ひとりでひとばんおるすばん」にトライしたダンナの顛末はまた項を改めて書くとして。

 頂戴した名刺を整理し、ネットで昨夜からのツイッターだのブログだのメールだのをざっとチェックしてみたらば。うわあ、そんな作家さんも来てたのかあああ、居るってわかってたら探したのにーーー、とノタウチ回る情報があちこちにあってケツが六つに割れる。米澤穂信さん、いらしてたのか。石持浅海さんもいらっしゃってたのか。ふんがー。

 そしてその一方で、「ご挨拶したい気持ちは山々なれど、どうせあたしのことはご存知ないだろうし、お仕事したこともないしなあ」と思っていた御大の方々については、よくよく考えれてみれば、直接の面識はなくとも担当の編集さんを知っているというケースが多いことに、今更のように気付く。

 文春のB嬢とは中日ファン仲間ではあるが、彼女は北村薫さんの担当なのだから、紹介してもらうよう頼めば良かったのだ。「アンタが来ると中日が負けるからCSには来るなよ」なんて話をしてる場合じゃなかったっつーの。あ、いや、それはそれですごく大事なんだけど。北村薫さんの面識を得ることと中日がCSに勝ち抜くことのどっちをとるかと言われたら、えーっと、その、北村さんとは今後も会えるかもしれないが中日の完全優勝のチャンスは次いつあるかわかんないしな。うん。あたしの選択は間違ってなかった。ホントに来るなよ
負け神B嬢

 そして同じ文春のIさんは、以前、桜庭一樹さんと食事をした際、あたしの話を出したことがあると言っていたことを今頃思い出す。Iさんに間に入ってもらえばスムーズに桜庭さんにご挨拶できたかもしれんのに、失念していた。まあ、そのときIさんがどんな流れであたしの名前を出したかというと、「大矢さんて人は、
赤朽葉家の毛毬とよく似た青春を過ごしたらしいですよ」という話だったらしいので、それを思い出されても困るのだが。てか、そんな暴露話をおつきあいの無い作家さんにしないように。>Iさん。

 その一方で、会えるといいなと思っていた人たちが欠席だったのは残念だった。近藤史恵さんと自転車の話をしたかったのになあ。「アンディのおなかの薄さって、あれ内蔵入ってんですかね」なんて話、他の人とはできんよ。それって鮎川賞パーティの場で話すことかというツッコミはさておき。
 貫井徳郎さんがいらっしゃらなかったのも、返す返すも残念。ダンナが入院していたとき、わざわざお見舞いに送ってくださったスープの缶詰セットの御礼を直接申し上げたかったのに。
 数少ない、お会いしたことのある作家さん──田中啓文さんとか水生大海さんがおいでじゃなかったのも寂しかった。次に機会があったらぜひお会いしましょう。てか水生さんには地元で会えばいいんだが。

 あ、そうか。近藤さんが出席されてたら、
飯田橋で時空の歪みにはまったときアドバイスを戴けなかったかもしれないんだ。そう考えると、近藤さんはあたしを助けるためにパーティを欠席して控えていてくれたという考え方もできる。世の中ってうまく回るように出来てるなあ。<いや、それはちょっと違うぞ。

 とまれ、お会いした皆さん、たいへんお世話になりました。
 お話させていただいた皆さん、どうもありがとうございました。楽しゅうございました。

 そして。
 受賞された三名の新人さん、おめでとうございます。
 って、これが今回の本筋。末筆ですみません。
 著作は拝読します。これからも畏れることなくいい作品をどんどん書いて、来年のパーティでは「安萬さん・月原さん・美輪さんにご挨拶したいな、誰か紹介してくんないかな」とあたしを右往左往させてください。期待してます。

初めてのパーティ・望郷編

前回までのあらすじ1

 黒田がいるという和民に向かう。駅まで出てもう一度電話すればフクさんが迎えに来て下さるとのことだったが、駅に着く手前で和民を見つけた。電話で確認するとそこで間違いないらしい。
 言うまでもないことだが、
立志編で黒田が駅のホームで「いつもあのあたりで飲んでる」と言いながら指差したビルとは、まっっっっっっったく別の場所だったことをここに報告しておきます。

 わざわざフクさんが店の入り口で待っていてくださり、そのまま案内して戴く。そうかフクさんて幹事体質なんだな……。名古屋オフのメンバーに似たタイプがひとりいるな、rosioさんとフクさんで幹事対決させてみたいな、などと考えてるうちに個室へ。おお、なんかみっちり人がいるよ。えっと、12人くらいいる?

 手前の場所をあけていただき、フクさんと政宗さんの間に座る。向かいにいらした千澤のり子さんや汀こるものさんにご挨拶。ただ、それ以外が誰が誰なのかさっぱりわからん。黒田の隣に千街晶之さんがいらっしゃるのがわかっただけだ。でもって千街さんとは3年前に一度お仕事で会っただけなので、おそらくあたしのことは覚えてらっしゃらないだろう。そもそも、もうすっかり場が出来上がってるところに途中から入って自己紹介してまわるってえのも無粋だし、とりあえず芋焼酎呑もう。

 ただ、テーブルの奥の方から時折「オオヤさんが」「オオヤさんに」という声が聞こえてくるのが気になった。ここがホームグラウンドの名古屋なら、片足をテーブルに上げて諸肌脱ぎ、「言いたいことがあるならはっきりおっしゃい! 素手の喧嘩なら表で買うわよ!」と啖呵を切るところだが、ここはアウェー、あたしは新参者。ものすごく気になりつつも、つとめて芋焼酎に集中。

 ちょうど頃合いだったこともあり、芋焼酎を1杯飲むまえにこの場はお開きとなった。結局、誰だったのかわからないまま多くの人と別れる。うーん、誰がいたんだろう……。そして近場に宿をとっている残った面子で改めて三次会に出ることに。その面子というのが。

「錦通信」「UNCHARTED SPACE」「政宗九の視点」「くろけんのミステリ博物館」「なまもの!」

 現存サイトにも敢てリンクはしない。この並びを見ただけで分かる人には分かるだろう。1996年から97年にかけて、個人ホームページ黎明期にミステリ系サイトを立ち上げたメンバーの顔合わせだ。それがサイト開設から13〜14年経って一堂に会すの図。ちょっと奥さん、これってすごくね? これってなんか、
初対面なのに同窓会みたいじゃね? まあ、初対面なのはあたしだけなんだけどさ。

「いいサイトがあったらソースを見て、コピーしたりしてましたよね」
「HTMLのタグを全部手打ちしてましたもんねえ」
「フレームって、初めて見たとき感動しませんでした?」
「ネットするのはテレホーダイの時間だけで」
「ニワトリが絞め殺されるようなモデム音が」
「あの頃ってサイトオーナーも読者も互いに距離の取り方がわからなくて」
「平気で個人情報書いてたよなあ」
「変なメールとかもらったりしたよね」
「でもコメント欄の概念がなかったから、炎上とは無縁だったね」
「そうそう、でもどっかの掲示板で攻撃されてたりして」

 
あたしらは御一新前を懐かしむ明治の年寄りか。

 でもホントにそんな時代だったのよ。なんつーか、同胞感ハンパねえ。このうち二人が作家となり、二人が書評家となり、一人はカリスマ書店員として名を上げた。こんな未来が待ってるなんて、夜中にちまちまとタグを手打ちしていて「おお、太字に出来た」と喜んでいた時代には予想もしてなかったよなあ。ましてや、その面子でこうして飲んでるなんて。ただ単に、井上夢人さんの
「99人の最終電車」を読みたいがために始めたネットだったのに。

 その後は作家になった「ミステリ博物館」オーナーの初期作品に於ける致命的な欠陥の話とか、「錦通信」オーナーの出世作に於ける深層心理とか、煙草やめたとかやめないとか、結婚してるとかしてないとか、結婚の前に社会人として果たさなくちゃならないことがあるんじゃないのかとか、黒田とあたしのなれそめ(そんなものはない)とかを話しながら夜は更ける。
 ただ、いくら小説技法の話とは言え、いいトシした大人が大声で「俺はレイプは好きじゃないな」「ええ、俺はレイプ、いいと思うけどなあ」「そもそもレイプの意味ってさあ」「でも殺人とレイプのどっちがいいかって言ったら」「
俺はレイプ好きだけどなあ」なんて話をするのはやめた方が良かった、と今にして思う。

 そうそう、このメンバーの共通点がもひとつあった。
 みんな、サイトのイメージ、そのまんま。口調も物腰も、すべてあのまんま。
 だから初対面って感じがしないのだ。文は人也って、ホントだよなあ。
 おっと、ただ、あたしだけは、サイトのイメージよりかなりおとなしくて控えめでキュートで、ちょっぴり寂しがり屋のお茶目な主婦さ、ということだけはお断りしておかねば。

 ちなみに、ふと思い出して「錦通信」オーナーに「さっき和民でオオヤさんが、って話してませんでした?」と尋ねたら、アパートの大家さんの話だったことが判明。おお、リアル叙述トリック!

 存分に喋ってホテルに戻り、更に部屋で黒田とちょっと飲んで、ようやく長い一日が終わった。初めてのパーティ体験、最後はすっかり、オフ会。さあ、あとは帰るだけだ。

続く。←続くのか!

初めてのパーティ・ベルサイユ編

前回までのあらすじ1

 二次会はなんとなくの流れで、太田忠司さん・愛川晶さん・篠田真由美さん・大崎梢さん・久世番子さん・ポプラ社の編集さん2人とあたしの8人で、ホテル1階のラウンジへ。おお、こじゃれたラウンジだが芋焼酎があるぞ。飲む。とりあえず飲む。だってパーティじゃあ、ぜんぜん飲み足りてないんだもん。
 ただそこはホテルのラウンジらしく、とってもおしゃれなグラスで出てきたけどな>芋焼酎。

 魔夜峰央さんいらしてましたねー、びっくりしましたねー、というところから、久世さんや大崎さん、篠田さんとマンガの話をしていたとき、テーブルの脇をすっと歩いていった男性がいた。

 島田荘司さんだ!

 何度も書いているが、今回の上京では「お仕事したことのある作家さんにご挨拶できれば」というのが狙いだった。でもって以前、島田荘司さんの文庫解説を書いたことがあるのだ。
「都市のトパーズ2007」である。そのとき、島田さんからとても丁寧な感想のメールを、編集さん経由で頂戴したのよ。
 今日のパーティに、その編集さん──講談社のM嬢がいれば話は早かったのだ。M嬢とは仕事の関係とは別に、個人的に親しくしているので(野球と自転車と小説の3分野の話が同等にできる女友達はこいつだけだ)、彼女がいればソッコー島田さんに紹介してもらおうと思っていたのに。

 上京前、M嬢にその旨をメールしたら、「アタクシ、その日はフランクフルトに出張ざぁますの」と切り捨てられた……。応援してる横浜ベイスターズが不調だからって、身売り話まで出てるからって、そんな仕打ちしなくてもいいじゃないか。そりゃウチは優勝したけどさあ、おーっほっほっほ。いや、そうじゃなくて。

 だから島田さんへのご挨拶は諦めていたのだが、これはチャンスじゃないか。「太田さん、島田さんに紹介してくださいよ!」と頼むと、「いや、ダメ! 無理! 僕からは声をかけられない!」
 ……え、そうなの? じゃあ、と愛川さんや篠田さんの方を見ると、一様に首を振る。
 なんで? ダメなの?

「とてもとても、こちらから声をかけるなんてことは」
「向こうから話しかけてくだされば別だけど」
 そして篠田さんが
「ほら、ベルばらにあったでしょう。身分の低いものは上の者に声をかけることはできないって。
 アントワネットが声をかけてくれるまで待つしかないって。
きょうはベルサイユは……

 久世さんとあたし、身を乗り出して声を揃えて

 
「たいへんな人ですこと!」

 ぶわはははは! しゃれたホテルのラウンジで、思わず爆笑。
 これは『ベルサイユのばら』序盤で、ルイ家に嫁いだばかりのアントワネットが、舅であるルイ14世の妾、デュ・バリー夫人に話しかけたセリフ。アントワネットはデュ・バリー夫人を軽蔑して一度も声をかけなかったのだが、政治的な圧力がかかり、意に反して泣く泣く話しかけざるを得なくなったのだ。ベルサイユでは身分が下の者が上の者に話しかけるのが御法度だったので、こういうシーンが生まれたわけだが、王家内部の人間模様とアントワネットのプライドの高さを象徴する重要なシーンであると言えよう。

 いやあ、それにしても「きょうはベルサイユは」で「たいへんな人ですこと」の合唱ができるとは思わなかったよ。しかも篠田さんと久世さんとあたしって、世代バラバラなのに。やはりこのあたりの強烈な個性を持つマンガというのは、誰がいつ読んでもハマるものなのだなあ。

 アントワネットを思えば、島田さんに声をかけてもらうのを諦めるのは簡単。でも島田さんが「きょうはエドモントは、たいへんな人ですこと」って話しかけてくる様を想像して、しばらく笑いが止まらんかった。まあ、そう話しかけられても困るけどさ。

 そのあとは「解説書きにくい小説ってないですか」と問われ、「苦手なジャンルのものは最初から受けないので」という話など。
「大矢さんが苦手なジャンルって?」
「幻想、ハードSF、ヒロイックファンタジーってあたりですね。ファンタジーは、
 東洋物や日常と地続きのものは平気なんですが、中世ヨーロッパっぽい異世界はダメです。
 吟遊詩人とか白魔術とか魔法の剣とか出て来たら、もうアウトです」
「ああ、私も苦手です! 世界のルールがわかんないですよね」と久世さん。
 そこで大崎梢さんの言った一言が印象的だった。

「どう見ても外国っぽい舞台なのに、眉を八の字に寄せたりするんですよね」

 だ、だめだ、腹いてぇ……(悶絶)

 ラウンジは10時閉店。解散後、まだぜんぜん飲み足りないので、黒田に電話をする。メフィスト系の皆さんと一緒に和民にいるというので、そちらに合流させてもらうことに。三次会の様子は次の項で。

続く。

初めてのパーティ・回天編

前回までのあらすじ1

 太田忠司さんがいてくださったら百万の味方を得たに等しい。さきほどから斜め後ろに山口雅也さんがいらっしゃることに気付いていたあたしは「太田さん、山口雅也さんと面識あったら紹介してください」とお願いする。今年の春に
「play」の解説を書かせて戴いた際、編集さんを介して「とてもいい解説です」とおっしゃってくださったのだ。社交辞令だとしても、御礼を申し上げねば。
 挨拶して、とてもとてもやさしく丁寧に、あたしの解説のどこが良かったかを説明してくださった。ありがたくてもったいなくてケツが六つに割れる。

 文庫解説や書評というものは、著者の方ではなく読者の方を向いて書いている。著者の意図を組み上げることはもちろん必要だが、それよりもまず読者にとって良きガイドであり手引きであろうと思っている。だから読者層によって、あるいは所属ジャンルによって書き方を変える。
 そういう読者の理解優先の解説というのは、ともすればそれは、必ずしも著者にとって嬉しい書かれ方になっているとは限らない。それはそれで仕方が無いと思っている。でも、それでも、こうして著者から「嬉しかった」と言っていただくと、そりゃもう冥利に尽きるってもんだ。

 俄然元気が出て、張り切って太田さんに引き回していただいた。
 鯨統一郎さん(名前を言っただけで
「北京原人の日」の解説者だと思い出してくださった)と西武ライオンズの話をし、青井夏海さんとも野球の話で盛り上がり(青井さんはパ・リーグのファンなので安心して話せる。セ・リーグに贔屓チームのある人とは、今年は立場上を気を使うので。ほーっほっほっほ♪)、大崎梢さんに千君のポストカードを頂戴し、その勢いで久世番子さんにご紹介戴き、森谷明子さんと作品の話をして、篠田真由美さんに「実は素人時代にお会いしたことあるんですよ」とカミングアウト、坂木司さんに「和菓子のアン」「切れない糸」の続編をせがんだ後で、「お互い頑張って稼ぎましょうね!」と生々しいエールの交換をして、この先の仕事の話。

 その合間を縫って、千街晶之さんとすれ違い様に「その節はどうもありがとうございました」と声をかけ(講談社の座談会でお会いしたのだが、忘れられていたかもしれない)、国樹由香さんと「久しぶり〜、大矢さんすぐ分かりましたよ!」「国樹さん髪型変わってたからぜんぜんわかんなかったあ!」と後で考えるとたいへん失礼な会話を交わし、本の雑誌社のM村嬢がチキンラーメンをぶらさげて歩いている姿に呆然とし、いつもすごく好きな本の解説をまわしてくださるポプラ社の編集さん2人とようやく出会え、東京創元社の編集Kさんからは「実在したんですね……」と言われ、ばたばたばたばたと走り回る。

 もちろん相手を見て、そっと
「脳天気にもホドがある。」の宣伝もした(楽天は予約受付が終了したのでAmazonにリンクしてます)。たとえばPHPの文蔵の編集さんとかね。だって「脳天気にもホドがある。」は帯の推薦文がドアラですからね。ドアラ本をベストセラーにしたPHPには当然言っておかねば。
 ところで
文蔵の仕事は某編集プロダクションの仲介でやらせてもらってたんだが、編集さんに話を伺い、編プロの担当さんが呈示してくる〆切の設定がかなり実情と違うことが判明したぞ。言質は取ったぞ。ふっふっふ。天網恢々。

 そうしてふらふらしてると黒田が飛んで来て、「辻真先先生に紹介するから来い!」と言う。背筋が伸びる。「お仕事した人とだけご挨拶できればいいから」と言っていたのだが、唯一の例外が辻真先さんだ。ポテト&スーパーはあたしの血肉と言っていい。辻さんの名古屋ミステリは、ご当地小説の秀作として何度も紹介させてもらった。とにかく、子どもの頃からずっとこの人の本格ミステリを読んで育ったのだあたしは。あたしのことはご存知ないだろうが、それでも、辻真先さんにだけはご挨拶したい。

 自己紹介し、名刺を差し出す。そして積年の思いを込めて、

 「
アタックNo.1、ずっと見てました! あれ見て、バレーボール始めました!」

 
ちょっと待て、あたし何言ってんの?!

 うわあ、舞い上がってる舞い上がってるよ。鮎川賞のパーティで、書評家ですと自己紹介しといて、ポテト&スーパーでも名古屋ミステリでもなく、なんでアタックNo1なんだよあたし! しかも「いや、こういう話をしたいんじゃないんだ」と思っているのに、なぜか口では「真剣に実業団めざしてたんです! 魔球も練習しました。
木の葉落とし打てます!」って、何のアピールだよそれ……(号泣)。
 そりゃ確かに辻真先という名前を最初に認識したのはアタックNo1だったさ。そりゃそうだ。でも、だからって、あたしってば……がっくし。
 今回のパーティ、最大の痛恨時。

 パーティはこれでお開き。大崎梢さんたちとのガールズトークが消化不良だったので、続きをするべく二次会に向かうことになった。

続く。

初めてのパーティ・怒濤編

前回までのあらすじ1

 17時半、ホテルの部屋で今日〆切の文庫解説を書き上げ、送信。てか、その担当編集さんとは30分後にパーティで会うんだが、まあとりあえず〆切は守ったよ。
 と同時に、会議を終えた黒田からホテルに入ったと電話が来た。ソッコーで部屋に呼びつける。その後の展開はご想像にお任せします。ただ、文章で身を立てる者として、罵詈雑言の100や200はすぐに思いつくとだけ言っておきましょう。文学的な責め言葉からアバンギャルドな貶し文句まで、時と場合と相手に応じてよりどりみどり。それが文筆業。

 しかし今からまた黒田の世話にならねばならんので、本来なら10の力で責め立てるところを7くらいに割り引く。なんせ今から鮎川哲也賞のパーティ。初めてのパーティ。右も左もわからないパーティ。水先案内人無しでは段取りが何一つわからず、やってはいけないときに、やってはいけないところで、やってはいけないことをしそうな気がする。てか、だいたいあたしはそういうことをやりがち。
 何より、文字でしか交流の無い作家さんに挨拶するには、誰かに仲介してもらうしかないのだ。
太田忠司さんもいるはずなのだが、人が多過ぎてどこだかわからない。黒田に頼る以外の選択肢がないのである。

 受付を見よう見まねで済ませ、会場へ。とにかくもう、どっから沸いてきたんだというくらい人が多い。満員電車のような人の向こうで、どうやら北村薫さんや辻真先さんによる選評が述べられているようだが、ぜんぜん見えない。Ustで見てる人の方が状況を掴んでたんじゃなかろうか。

 乾杯が終わったら、お仕事させて戴いた作家さんを探して黒田に紹介してもらってご挨拶を──と思っていたのだが、選評や表彰の間に死ぬほどおなかがすいたので、まずは食べる。食事、めっちゃ豪華。和牛ステーキにフォアグラのコロッケ、寿司、あと何だかわかんないけど上等そうなオードブル系。ドリンクもいろいろで、鮎川哲也賞ってことで「赤い密室」「青い密室」「鬼貫スペシャル」と名付けられたカクテルまで用意されていた。「鬼貫スペシャル」がノンアルコールのソフトドリンクだったのは、きっと鬼貫警部が糖尿病を患っていたことにちなんだのだろう。<そうか?

 そしていよいよ挨拶の行脚に出る。黒田には「あたしが文庫解説書いた作家さんに紹介して。仕事したことない人は、あたしのこと知らないと思うから」とあらかじめ釘を刺しておいた。縁のない作家さんに紹介されて「……誰?」という反応されたら悲しいもの。
 したらばさ、あれほど言っていたというのにいきなり「あ、山口芳宏さんだ! 山口さん山口さん、これ大矢。知ってますよね?」と背中を押される。いや、だから、知らない人に「知ってますよね」って言っても、向こうだって困るだろうがよ!

 「ああ、大矢さん。っていうか、箱崎さんですよね? nifty時代の」

 へ? あたしのパソコン通信時代のハンドルをご存知なの? ってことはFSUIRIの人だったのか山口さん。まあ、とまれ「誰?」的反応をされずに済んで良かった。でも黒田、くれぐれもあたしが仕事をした相手だけを紹

 「あ、有栖川さん、これ、大矢博子です!」

 だーかーらーっ!
 ところが意外にして光栄なことに、有栖川有栖さんもあたしのことをご存知だそうで、とっさに「やべえ」と思う。<なんで? しかも「初めてじゃないですよね。初めてでしたっけ?」と言われた。初めてです。てか、まえに座談会の仕事で法月綸太郎さんにお会いしたときも同じこと言われたんだよな……。このあたりの方々は、いったい誰とあたしを間違えてるんだろう。あるいはあたしのドッペルゲンガーが会ってるんだろうか。失礼なことしませんでしたかそのドッペルは。それ、あたしじゃないですからね。

 そして黒田に向き直る。とにかく! ホントに! 心臓に悪いから! 相手にも失礼だから! あたしが! 仕事した相手とだけ! 選んで! 探して! 紹介し

 「あ、電話だ。ちょっとゴメン、俺ちょっと外出るからテキト〜にしてて」

 衝動殺人、という事件が起きる経緯を全身で理解した気がする。

 まあそれでもなんとか黒田がいるうちに、愛川晶さん、東川篤哉さんといった正真正銘仕事相手にもご挨拶できたし、同じ雑誌に書いてたこともある大森望さん(「なまもの!」の初期から読んで下さっていたそうだ。がーん! まさか拙サイトをご存知だとは思わなかった)や杉江松恋さんにもご挨拶できた。
 編集さんにもご挨拶。まさに今日〆切だった講談社文庫のOさんとK嬢に「さっき送りましたから!」と報告。このK嬢、今年の新人だそうだが、なんと高校時代から「なまもの!」を読んでくださっていて、「編集者になったら大矢さんと仕事する」とずっと思っていてくれたのだそうだ。感動だなあ。そしてそれを実現させたんだなあ。すごいなあ。でももうちょっと大きな夢を持ってもいいんじゃないかなあ。
 文藝春秋の編集にして「中日の試合を生観戦すると絶対中日が負ける」という負け神・B嬢にも出会えたので、名刺を交換する間ももどかしく「CSは絶対に見に来るな」と釘を刺す。

 そうそう、今や書評家としてご活躍のフクさんや、実行力ある書店員としてその名を馳せる政宗さんにも、黒田を介して御挨拶できた。このあたり、個人がホームページを持ち始めた黎明期からミステリ系書評サイトをやっていた面々。初対面なのだが、ぜんぜん初対面という感じがしない。

 その間、黒田は憧れの魔夜峰央先生(そうです出席してらしたんです!)に挨拶に行き、以前イラストを描いていただくという幸運に恵まれた
「嘘つきパズル」の御礼を言ったはいいが、魔夜先生本人はその仕事のことをまるっきり覚えてなかった、という事実に直面していた。天網恢々、疎にして漏らさず。
 魔夜先生の奥様が横から「ほら、あのオカマが出て来る話よ」と耳打ちし、「ああ、あの気持ち悪いやつか」とようやく思い出してもらえたようで、本人もほっとしていた。が、そんな思い出され方でほっとしていいのか黒田。

 てなことを言ってる間に「じゃ、ちょっと出てくるから」と黒田が行ってしまった。すぐ戻るとは言っていたが、ひとりでは俄然心細くなる。どうしようかなあ。とりあえず酒でも飲むかなあ。でもこじゃれたカクテルやワインばかりで、芋焼酎とかなさそうだよなあ。
 そう思って顔を巡らせたとき──あっ、
太田忠司さんだ! よかった太田さんがいた! 外国で日本人に会ったときのような感動で太田さんに駆け寄る。誰もいなかったら抱きついていたかもしれん。

 ここから挨拶回り第2弾が始まるのであった。

続く。

初めてのパーティ・彷徨編

前回のあらすじ

 飯田橋駅前の歩道橋の上に立ち、地図を見る。
 それによれば、駅前で道が二股に分かれた箇所にモスバーガーがあり、その左側の道に入っていけば道沿いにホテルがあることになっている。なぁんだ、簡単じゃないか。

 ところで前回の日記で、あたしは決断力と行動力に富んでいるということを書いたが、大矢博子を形成している要素がもうひとつある。それは、
自分を信じている、ということ。
 あたしは常に自分の力を、自分の判断を信じている。
 自分の選択を、自分の考えを信じている。

 だから、駅前に
モスバーガーがなかったとしても、間違っているのは、あたしではなく地図の方だ、と考えてしまったのは、これはもう仕方ないことだと思うのよ。

 目印はモスバーガー。でもそのモスバーガーがない。さてどうするか。
 目の前の風景を地図に無理矢理当てはめるなら、道が分かれている境目の、そこらあたりがモスバーガーのはずなんだが……。なんか洋服屋さんになってるし。潰れたのかなあ。不景気だしなあ。
 とりあえず歩道橋を降り、地図に沿って(沿ったつもりで)歩き出した。そのうちどこかに出るだろう。

 ない。

 ない。

 地図に載っている交差点の名前と同じ交差点が、どれだけ行っても出てこない。
 どうもおかしい。道、1本間違えたか?
 1本2本というレベルではなかったのだが、それはこの時点ではまだわからない。

 なんかホテルっぽい建物、ぜんぜんないんですけど。
 そうこうしてるうちに、小学校にぶつかる。小学校? そんなもの地図には無いが。
 その辺で裏道に入ってみるが、ホテルらしきものはない。どういうことだ? あたし今、どこにいるんだ? これが新井素子
『……絶句』に書かれていた飯田橋の時空の歪みなのか? そこらに拓ちゃんとか、あもーるとかが、いるのか? てか、現実から目を背けず、言葉を飾らず、素直に描写するなら──

 道に迷った。

 とりあえず、さっき通り過ぎた小学校の手前にドトールコーヒーがあったことを思い出したので、そこに入って善後策を練ることにする。
 あ、これを書いておかねば。あのね、こんだけ歩いてドトール1軒って、東京、喫茶店少な過ぎ! 名古屋ならコメダが2軒はあるよ! 困ったときのコメダだよ。東京の人は喫茶店使わないのか? スポーツ新聞はどこで読んでるんだ?
 とまれ、ドトールに腰を落ち着けてケータイを取り出し、ツイッターに助けを求めることにする。

 
飯田橋で道に迷ったなう。たまたま見つけたドトールでやさぐれてるなう。誰か助けて(泣)

 いやあ、ツイッターってすごいね。あっという間に「どこに行きたいの?」とリプライが集まる。「ホテルエドモントに行きたいの」と書くと、「ドトール、何軒かありますが、どのドトールですか」と相次いで尋ねられた。

 
どのドトールか説明できるくらいなら、迷ってないと思う。

 しかしそんなことは言わない。東口から出て、しばらく歩いたところだと答えた。すると近藤史恵さんがおごそかに、こう言い放った(書き放った?)。

 
「今マップ見ましたが、方向的に逆なので、飯田橋駅まで戻ってください」

 なんですて?
 逆? 方向的に、逆? だって黒田がこっちだと指差した、まさにその方向に一直線に歩いたのよあたし。なのに逆ってどういうこと? これが飯田橋の時空の歪み?

 
「飯田橋から反対に来てます。それか、水道橋近くまで出ちゃってるかのどちらか。東口近辺のドトールは、エドモントの反対側か、ずうっと先しかありません」

 水道橋ってことはないだろう。東京の地理には疎いが、水道橋というのはオレンジ色のウサギさんチームの本拠地があるところだという知識くらい持っている。ウサギさんチームは今日、正念場の試合がある日だから、これが水道橋近くならレプリカユニフォームを着たファンで溢れているはずだ。だから水道橋ではない。ということは、やっぱ「エドモントの反対側」なのかここは。

 ツイッターで力を貸して下さった皆さんに御礼ツイートと「もう名古屋に帰りたい」という泣き言ツイートを書き、そのまま来た道を戻る。駅まで戻る。ガードをくぐったら……モスバーガーが、あった。すごく分かり易いところに、モスバーガーが、あった。駅のホームで黒田が指差した「こっち」という方向の、
180度反対側に、あった。
 そこからホテルは、一直線だった……。
 
 翌日、名古屋に帰ってから改めてツイッターで近藤さん宛に
「昨日はありがとうございました。あのまま間違った方向に進んでいたら東京ドームで野球見て名古屋に帰っていたかもしれません」と御礼のツイートを書いた。
 そしたら、こんな暖かいお返事を頂戴した。

 
「慣れない土地で迷うと心細いですよね。私は推理ゲームみたいで楽しかったです。ところで東京ドームはまた別の方向です

 以上のエピソードから得たあたしの教訓はどれか。次の中から選びなさい。

 A:もう黒田を信じるのはやめたほうがいい。
 B:もう自分を信じるのはやめたほうがいい。
 C:とりあえず、ツイッターってすげえ。

続く。

初めてのパーティ・立志編

 ということで、上京の途につく。
 新幹線のチケットもホテルの予約も悪友・
黒田研二が自分の分と一緒に手配してくれたため、あたしはとりあえず彼に着いて行けばいい、ということになっている。だからルートも予定も何も考えず、ただ黒田に言われるがままに、12時15分、名古屋駅の新幹線改札で待ち合わせ。

 新幹線に乗るのは3年ぶりだが、パソコン用の電源はあるし無線でネットもできるしで、快適この上ない。今日〆切の文庫解説がまだ出来てなかった(こらこら)のだが、ここで書けるじゃないか。
 ……まあ、それで実際に書くかどうかはまた別の話なんだが。

 「東京に着いたら、キミ、どうするの。俺は本格ミステリ作家クラブの
  執行会議があるから、そっちに行っちゃうけど」
 「4時過ぎにホテルエドモントで人と会う約束があるから、直接ホテルに行く」
 「じゃあ俺も飯田橋(ホテルの最寄り駅)で乗り換えだから、そこまで一緒に行こう」
 「え、あたし東京駅からタクシーで行くつもりだったんだけど」
 「もったいないよ。乗り換えも簡単だし、連れてくから大丈夫だよ」
 「だってホテルと駅って、ちょっと離れてるじゃん。迷いそうなんだよね」
 「迷うかなあ、うーん、確かにキミなら迷うかも……でも地図もあるから」

 東京駅につき、なんとなく黒田についていき、なんとなく在来線に乗る。お茶の水で乗り換え。まだ不安なあたしは「ここで外に出てタクシー乗る。飯田橋の駅からタクシーじゃあ近過ぎるし」と言ってみた。しかし、「何言ってんの、ここまできてタクシーなんか逆に時間かかるよ」と言われ、そのままホームに入ってきた電車に乗る。確かに飯田橋にはすぐ着いた。が。

 飯田橋のホームにて、「で、これからあたしはどっちに向かえばいいの」と尋ねる。
 パーティ招待状に同封されていた地図をあたしに渡しながら、周囲を一瞥し、おもむろに「こっち」と一方向を指差す黒田。

 「こっちだね。ほら、地図がこうで、ホテルここだし。
  で、いつもパーティのあとで俺らが二次会で使う居酒屋があのビルのあたり」
 「あ、ここから見える、居酒屋が入ってるあのビル?」
 「そうそう、だいたいあの辺で飲んでる」

 そうか、方向が分かれば、あとは地図があるし、入る道さえ間違わなければ1本だし、大きなホテルなんだから近くに行けば建物の雰囲気でわかるだろう。
 ギリギリまで「そっちだからな、ぐるっと回ったりしないで、まっすぐそっちから出ろよ」という黒田のアドバイスを背中に受けながら、駅の外に出た。

 自分は方向感覚に優れている、とは決して思わない。てか、むしろいわゆる方向音痴の部類に入ると思う。ただ致命的というほどではない、と思う。しかしここに別の不安要素がある。
 あたしの取り柄は決断力と実行力なのだ。
 想像してみて戴きたい。
決断力と実行力のある方向音痴とはどんなものか。
 このときあたしは何の疑いも抱かず、毎年来てる黒田が言うのだからと進む方向を決断した。そしていっさい迷うことなく、彼が指差した方向にそのままスタスタ歩き出した。
 立ち止まらず、振り返らず、ただ前を向いて、歩き出した。

 タイムマシンがあれば、このときの自分に言いに行きたい。
 立ち止まれ。振り返れ。後ろを向け。
 てか、16年もつきあってきて、黒田がどういうヤツかよく知っている筈なのに、なぜ信じた?

 飯田橋駅前の歩道橋と言えば、新井素子
『……絶句』でタコになったやつじゃなかったっけ? などと懐かしく思い出しながら歩道橋を渡る。ホテルエドモントを知ってる人はこの時点であたしの間違いに気付くであろう。
 新井素子、むさぼるように読んだよなあ。『……絶句』は、拓ちゃんの超能力のおかげで、飯田橋の時空が歪むという話だったよね。そうか、これがその場所なのか。じゃあ第13あかねマンションもどっかこのへんなんだな。ホントに時空歪んでたりしてな。歩道橋降りたらアフリカで、日本文学に詳しいライオンさんがいたりしてな。うわははは。

 さすがにアフリカではなかった。しかし、飯田橋の時空はホントに歪んでいた。
 それをこのあと、あたしは身を以て体験することとなる。
 ……まあ、歪んでいたのは時空じゃなくて、黒田の方向感覚だったことが後にわかるだけだが。

続く。

女房元気で留守がいい・その2

 書評とかコラムとかエッセイとか、文章でお金を頂戴するようになって10年以上経つ。その間、いわゆる出版関係のパーティとか集まりに顔を出したことは一度もなかった。
 例えば名古屋在住なので東京まで出るのに時間と費用がかかるとか、作家さんとオトモダチになってしまうと書評が書きにくいので距離をとっておきたいとか、過去に書きたい放題評した作品の著者に出会ったらバツが悪いなとか、てかあたしが行ったところで「誰?」と思われるのがオチだろうとか、まぁ理由を挙げようと思えばナンボでも思いつくが、つまるところ、
面倒だった、のだ。

 だがしかし。今回初めて、東京創元社の鮎川哲也賞贈呈バーティに出ることにした。
 10年もやってると、ありがたいことに文庫解説や書評を書いた作家さんから編集さんを通じて御礼や感想を頂戴する機会が増える。ところが、いろいろお声をかけて戴くのに地方在住を言い訳に不義理を重ねてしまった。一度ご挨拶しなくちゃ、と思っていた──というのが表向きの理由。
 裏向きにして最大の理由は、
ダンナの一人暮らしトレーニングにある。

 ご存知のようにウチのダンナは脳出血の後遺症で体に障碍があるため、入浴や食事の支度など、ひとりでは難しかったり危なかったりということが多い。そのためこれまであたしはダンナを残しての遠出ができなかったんだが、
前の記事にも書いたように、それではイカンだろうと。
 イカンだろうとは思いつつ、それでも心配なものは心配で、これはもう「いくら心配でも出かけるしかない」という状況を作る他ない、と思っていたところにちょうどこのパーティのことを思い出したという次第。
 10月上旬なら冷房も暖房も要らないので、「寒くないかしら、暑くないかしら」という心配をする必要もないし。って、今書いてて思ったけど、どんだけ過保護だあたし。

 それで、10月8日の昼前から9日の昼過ぎにかけての一泊二日、ダンナがひとりで留守番する、ということにした。編集さんにも出席の連絡をしたので、もう戻れない。昼食と夕食は介護保険を使った配食サービスを頼み(
旧なまもの日記の今年の9月9日参照)、必要なものはすべて分かる場所に出し、お風呂は入らないことにする。寝る前と起きたときにはメールを入れること、こちらから出した安否確認メールにはすぐ返事を出すこと、普段やらないようなことにチャレンジしないこと、あたしのいない間に勝手に通販で高価な鉄道模型を注文したりしないことなどを約束。うーん、こうして書くとやっぱり過保護だなああたし。子どもに初めて留守番させる親御さんってこんな感じ?
 そしてそれでも起きるかもしれない緊急事態──コケて立てないとか──に備え、名古屋に本拠を持つタクシー会社経営の、緊急かけつけサービスに加入した。

 
あんしんネット21というそのシステムは、契約者の家庭とオペレーションセンターが端末で結ばれ、ボタンを押すだけで担当者と会話ができ、助けが必要な場合はヘルパーの資格を持ったタクシー運転手さんがかけつけてくれる(鍵を預けておいたり内緒の場所に置いておいたりして、家に入れるようにしておく)、というもの。普通に加入するとけっこうお高い上に、出来ること出来ないことがあったりするらしいのだが、介護保険を使うとお値打ち且つ便利に利用できるのだ。

 この会社のタクシー(つばめタクシー)には、ヘルパーの資格を持つ運転手さんが乗り降りの介助や見守りをしてくれるというサービスがあり(別料金です)、それを過去に何度か使ったことがあった。ものはついでなので、このタクシー会社の
身障者用カードも作る。
 これがあれば身障者割引で10%安くなる(更に名古屋市の障碍者用タクシー助成で740円分のタダ券もある)上に、現金支払いの必要がなくなるのだ。なので名古屋市の障碍者タクシー利用券とこのカードを出せば、片手しか使えないダンナが財布からお金を出したりしまったりという手間がいらない。
 ちなみにタクシーを呼びたいときは、上記の
あんしんネット21の端末を使ってボタンひとつで呼べる仕組み。もしあたしの留守中にどうしても出かけなくちゃならなくなっても、これで大丈夫、のはず。

 これだけ準備をすれば、ダンナを残して一泊くらいの旅行をしても大丈夫なんじゃなかろうか。てか、もう他に何かすべきことを思いつけない。これだけやってダメならしょうがない。岩瀬で負けたらしょうがない、というのと同じである。準備は万全なんだから、あとはやってみるのだ。杏より梅が安しというじゃないか。酎ハイか。そうでなくて。案ずるより産むが易しと言うじゃないか。

 ということで、いよいよ明日は初めての「ひとりで一晩、お留守番」の日である。
 ひとりで一晩、お留守番。なんかラップみたいだな。ひとりでひとばんおるすばん、ひとりでひとばんおるすばん、HEY、YO! 言うてる場合か。

ライバルに敬意を持つということ

 ダンナの「一人で留守番プロジェクト」の続きを書かねばと思っているのだが、先月29日に書いた「ライバルでも、負けを願いたくはない」についての反響がまだ続いているので、その件について。

 ドラゴンズのリーグ優勝はそりゃもちろん嬉しかったんだけども、試合のない日にマジック対象チーム(阪神)が負けたことによる、いわば「待ちの優勝」だった。
 これはドラゴンズの優勝史上でも最近はなかったことで、各テレビ局が絵に困ったことは簡単に想像できる。優勝決定の瞬間、選手はカメラの入れないロッカールームにいるんだから。

 それで各テレビ局はどうしたか。
 これがねえ、個人的にはとても嫌だったんだけど、ドラゴンズファンが集まる居酒屋さんで「その瞬間」の映像を撮り、それをニュースや特番で使ったわけですよ。
 うん、確かにそれもひとつの「優勝の瞬間」ではあるし、他に手がないってのもわかるんだけど。

 でもさ、見ていてものすごく辛かったのよ。やめてくれ、と思ったのよ。
 それがどういう場面だったかを、ドラゴンズファンとしてでなく中立的な目で見ると。
 9回表、この試合に負けたら優勝が消えるという試合で5点差をつけられて、正直もう望みはないってわかってて、それでも諦めずにバッターボックスに立つ金本。
 そこで「あとひとり! あとひとり!」「あと一球! あと一球!」とコールを上げ、金本が三振に倒れた瞬間に喜びを爆発させ、呆然とする阪神ベンチの映像が流れる中で万歳三唱。
 もうね、どんだけ阪神と阪神ファンに失礼なニュース映像かと。

 あ、あらかじめ断っておくけど、その居酒屋のお客さんは悪くない。ファンとして素直な気持ちで声を上げ、喜んでるだけだし、あたしもその場にいれば同じことをしたと思う。実際、ツイッターでもこっそりと「あとアウトみっつ……!」とかって呟いてたしな。
 ただ、それをメディアがどう見せるか次第で、居酒屋のお客さんは「中日の優勝を喜ぶファン」ではなく「阪神の負けを喜ぶファン」というふうに視聴者の目に映ってしまう。
 それは決してイコールではない。あの場にいたお客さんたちだって、決して阪神憎しではなく「中日が優勝だ」ということで喜んでるんだから。でも。

 逆の立場になってみれば簡単に想像できる。
 もしも中日の負けで試合のない阪神の優勝が決まっていたとしたら、そして阪神ファンの集まる居酒屋が中継され、たとえば森野が三振した瞬間に万歳されたら。沈む中日ベンチを見て「やったあ!」と喜ばれたら。
 気持ちのいいはずがない。

 そりゃね、あたしだってこれまで「阪神負けろ」「巨人負けやがれ」と思ったことがないと言ったら嘘になる。いや、しょっちゅう思ってた。っていうかむしろこの2チームより、ヤクルトに対してどうにも歯痒い思いがあり、「館山の乗った車が渋滞に巻き込まれて球場入り遅れろ」なんて思ったりもしたさ。あまりにも館山が中日に強いんで、「きっと館山は難病の少年にウィニングボールを渡す約束をしてるんだ、その少年は館山が勝ったら手術を受けるって決心してるんだきっとそうだ」などと詮無い想像で自分を慰めてたさ。しまいにゃ「ウィニングボール何個貰えば気が済むんじゃ、とっとと手術しがやれ!」と架空の少年に腹を立てたりしたさ。

 けど、それもこれもペナント終結とともにすべて終わること。
 そのとき、半年間戦って来たライバル球団とそのファンに、敬意と礼節を持った報道をすべきだと思う。
 自分たちが勝った瞬間ではなく、相手が負けた瞬間をこれでもかと流すことに、大きな意味があるとは思えない。むしろそれは(言葉は失礼だけど)死者に鞭打つ行為なんじゃなかろうか。
 ライバルの負けの瞬間を繰り返し映さずとも、号外が配られる名駅や、バカが噴水に飛び込む栄や、優勝コスチュームのナナちゃんを映すことで、じゅうぶん優勝の喜びは伝えられるんじゃない?

 敬意と礼節。
 野球に限らず、書評を書く時にも、肝に銘じている言葉です。