ライバルに敬意を持つということ

 ダンナの「一人で留守番プロジェクト」の続きを書かねばと思っているのだが、先月29日に書いた「ライバルでも、負けを願いたくはない」についての反響がまだ続いているので、その件について。

 ドラゴンズのリーグ優勝はそりゃもちろん嬉しかったんだけども、試合のない日にマジック対象チーム(阪神)が負けたことによる、いわば「待ちの優勝」だった。
 これはドラゴンズの優勝史上でも最近はなかったことで、各テレビ局が絵に困ったことは簡単に想像できる。優勝決定の瞬間、選手はカメラの入れないロッカールームにいるんだから。

 それで各テレビ局はどうしたか。
 これがねえ、個人的にはとても嫌だったんだけど、ドラゴンズファンが集まる居酒屋さんで「その瞬間」の映像を撮り、それをニュースや特番で使ったわけですよ。
 うん、確かにそれもひとつの「優勝の瞬間」ではあるし、他に手がないってのもわかるんだけど。

 でもさ、見ていてものすごく辛かったのよ。やめてくれ、と思ったのよ。
 それがどういう場面だったかを、ドラゴンズファンとしてでなく中立的な目で見ると。
 9回表、この試合に負けたら優勝が消えるという試合で5点差をつけられて、正直もう望みはないってわかってて、それでも諦めずにバッターボックスに立つ金本。
 そこで「あとひとり! あとひとり!」「あと一球! あと一球!」とコールを上げ、金本が三振に倒れた瞬間に喜びを爆発させ、呆然とする阪神ベンチの映像が流れる中で万歳三唱。
 もうね、どんだけ阪神と阪神ファンに失礼なニュース映像かと。

 あ、あらかじめ断っておくけど、その居酒屋のお客さんは悪くない。ファンとして素直な気持ちで声を上げ、喜んでるだけだし、あたしもその場にいれば同じことをしたと思う。実際、ツイッターでもこっそりと「あとアウトみっつ……!」とかって呟いてたしな。
 ただ、それをメディアがどう見せるか次第で、居酒屋のお客さんは「中日の優勝を喜ぶファン」ではなく「阪神の負けを喜ぶファン」というふうに視聴者の目に映ってしまう。
 それは決してイコールではない。あの場にいたお客さんたちだって、決して阪神憎しではなく「中日が優勝だ」ということで喜んでるんだから。でも。

 逆の立場になってみれば簡単に想像できる。
 もしも中日の負けで試合のない阪神の優勝が決まっていたとしたら、そして阪神ファンの集まる居酒屋が中継され、たとえば森野が三振した瞬間に万歳されたら。沈む中日ベンチを見て「やったあ!」と喜ばれたら。
 気持ちのいいはずがない。

 そりゃね、あたしだってこれまで「阪神負けろ」「巨人負けやがれ」と思ったことがないと言ったら嘘になる。いや、しょっちゅう思ってた。っていうかむしろこの2チームより、ヤクルトに対してどうにも歯痒い思いがあり、「館山の乗った車が渋滞に巻き込まれて球場入り遅れろ」なんて思ったりもしたさ。あまりにも館山が中日に強いんで、「きっと館山は難病の少年にウィニングボールを渡す約束をしてるんだ、その少年は館山が勝ったら手術を受けるって決心してるんだきっとそうだ」などと詮無い想像で自分を慰めてたさ。しまいにゃ「ウィニングボール何個貰えば気が済むんじゃ、とっとと手術しがやれ!」と架空の少年に腹を立てたりしたさ。

 けど、それもこれもペナント終結とともにすべて終わること。
 そのとき、半年間戦って来たライバル球団とそのファンに、敬意と礼節を持った報道をすべきだと思う。
 自分たちが勝った瞬間ではなく、相手が負けた瞬間をこれでもかと流すことに、大きな意味があるとは思えない。むしろそれは(言葉は失礼だけど)死者に鞭打つ行為なんじゃなかろうか。
 ライバルの負けの瞬間を繰り返し映さずとも、号外が配られる名駅や、バカが噴水に飛び込む栄や、優勝コスチュームのナナちゃんを映すことで、じゅうぶん優勝の喜びは伝えられるんじゃない?

 敬意と礼節。
 野球に限らず、書評を書く時にも、肝に銘じている言葉です。