スポーツオーソリティと日本シリーズ

 今日は友人いつみとショッピング。
 守山区のイオンに入っている
スポーツオーソリティのセールに、ロングパンツを買いにいくのだ。

 ナイキやアディダスなどのブランドものもあるが、あたしの狙いはスポーツオーソリティのオリジナルブランド。ストレッチタイプのロングパンツがもう、もともとエアロビクスなどのワークアウト用なので超動き易くて楽で、洗濯機でがんがん洗えて、でもシルエットがめっちゃキレイで、トップス次第では普通のお出かけにだって使えるという優れもの。しかも3500円程度。
 デニムってきついし動きにくいしカジュアル過ぎるしとお悩みの中高年マダムの皆さん、ワークアウト用のスポーツウェア、使い勝手がよろしゅうございましてよ。縦ラインの無いデザインなら、ちょっと見、フォーマルっぽい着回しも出来ましてよ。

 ところが今お気に入りのものと同じタイプがない。店員さんに「これと同じのが欲しいんですが」と自分の足を指差すと、若い男性の店員さんは「品番がタグに書いてあるんですが……」とモジモジ。え、とウエストの裏側あたりを見ると、「いえ、もうちょっと下の方に……」と更にモジモジ。
 なるほど、左サイド骨盤あたりの裏側にタグがある。平気でそこまでめくって見せる。四十過ぎるとこういうのが平気になります。昔は「金をもらっても見せたくない」だったものが
「金を払ってでも見せたい」と思うように……いや、虚しいからやめよう。

 嫌がらせのように店員さんにタグを見せた結果、すでに廃版だという。しょうがないので、同じシリーズの新版を購入。ちょっとデザインが変わってるが、問題無し。
 せっかくだから他のブランドものの同じタイプのものも試さねば損だ。あたしが試着室に入って1本穿いてる間に、いつみが見繕った別の商品がどんどんドアの下から差し込まれてくる。連れのいるショッピングの何と楽なことか。

 本来の狙いだったスポーツオーソリティオリジナルブランドとは別に、NIKEやGfitなどいろいろ試した結果、ルコック・スポルティフのロングパンツを購入。もうひとつ、やや厚手の生地のボトムも探したが(
こういうやつね)、こちらは気に入ったものが見つからず断念。次のセールに賭けることにする。でも良い買い物したー。

 夜は日本シリーズ──のための練習試合がナゴヤドームで行われた模様。
 うちの吉見や平井のために、ロッテの皆さんが投球練習に付き合ってくださったらしい。ここに投げたら打たれる、というのを教えてくださったようだ。
 バッター陣のためには、なんとロッテのエース成瀬が、打撃投手を買って出てくださった。でももうちょっと打ち易い球を投げてくれないと練習にならないよ成瀬──って、これも虚しいからやめよう……。しくしく。

 なお、諸般の事情でダンナの実家近所のコメダ珈琲で、ワンセグで試合を見てたんだが、いつもは呼んでも来ない店員さんが、頼みもしないのに水のお代わりや灰皿の交換にやって来る。負けてる、と教えてやる。厨房に衝撃が走っていた模様。

 深夜、ロッテファンの友人から
「中日はロッテより弱い」という呵々大笑のメールが来た。
 そ、それは昔、巨人が三連敗から四連勝したときの魔法の呪文……! いいのか?

脳天広告

 今朝の朝日新聞と中日新聞(ともに4面)に、拙著『脳天気にもホドがある。』の広告が出てます。
 (左/中日新聞 右/朝日新聞)
chunichiasahi

 中日新聞が思い切りドアラ押しなのに対し、朝日にはドアラのドの字も無し。帯も無いし、紹介文の中にも「ドラゴンズファンで云々」という表記がまったく無い。まあね、ライバル新聞のチームなんだから、当然か。でもこうして見ると、ドアラがないと寂しいなあ、この本。

 という時点で何の本なんだか、著者自身が見失っていることが判明。

「で」

 日本語の「で」という助詞には、手段と目的(あるいは理由)の意味がある。まあ、それより場所を示すのが第一義なんだが、それはちょっと置いといて。
 わかりやすいのは「私は○○で●●に行った」という文章。

 手段を表す「で」
  私は新幹線
東京に行った。
  彼は徒歩
公園に行った。
  中日ナインは飛行機
札幌に行った。

 目的(理由)を表す「で」
  私は仕事
東京に行った。
  彼はデート
公園に行った。
  中日ナインは交流戦
札幌に行った。

 その「で」が何を表しているのかは、文脈でわかる。
 ここで気をつけたいのは目的を表す場合は言葉が省略されているという点だ。「仕事で」「デートで」「交流戦で」というのは、「仕事(デート/試合)をするための場所として」と言うのが正確な日本語である。つまり
「で」というのは「〜をするための場所として」を簡単に言い換えているに過ぎない。つまり、冒頭に書いた第一義の方だ。

 そう考えると、日本語というのは「前後の脈絡」に頼っている部分が大きいことに気付くだろう。

 (1)中日ナインは交流戦で札幌に行った。
 (2)中日ファンの友人は交流戦で札幌に行った。

 1の場合は「出場するために」であり、2の場合は「観戦するために」である。出場と観戦ではまったく違うが、そこは主語や前後の文脈から、聞き手(読み手)にはちゃんと伝わるようになっている。主語が「記者は」だったら交流戦の取材(仕事)で行ったんだろうし、主語が「テロリスト」だったら何か犯罪をもくろんでると思うし。そしてもちろん、「交流戦」の部分が飛行機だの車だのとなっていれば、「目的ではなく移動手段を示している」ということを聞き手は説明されずとも即座に理解する。
 これはコミュニケーションとしてはけっこう高度な事だと思う。言葉ってすごい。

 ところで。
 こないだの日曜、仲良しの三婆……ごほごほっ、三人娘と書店巡り&ディナーで(この「で」は目的を表す)名駅に出たという話を
日記に書いた。三人娘というのは、いつみ、かおかお、そして敢えて名を秘す●いん嬢の三人である。
 この、敢えて名を秘すこ●ん嬢の趣味は乗馬である。彼女は馬に乗るために、あちこちの乗馬クラブや乗馬イベントに参加している。そしてイタメシ屋さんで歓談中、こい●嬢はこんなことを言った。

 「あたし、馬大分に行ってきました〜」

 いくら「文脈」というものがあろうとも、その瞬間、聞いていた三人の脳裏に、名古屋から大分まで
高速道路を疾走する馬が浮かんだのは、決して責められないと思う。

 カードと車載機を鞍に設置し、ETCレーンを突っ切る馬。
 サービスエリアで、バイクと並んで駐輪場に立つ馬。
 関門橋を渡る馬。

 いやそれ以前に、馬は軽車両扱いだから高速道路は通れないんじゃなかったか。じゃあ下道か。信号待ちをする馬。マクドナルドのドライブスルーで順番待ちをする馬。ガソリンスタンドで飼い葉を食む馬。

 たとえ日本語がコミュニケーションツールとして高度であろうと、それはなんぼなんでも無茶だよこいん。
 

ツンデレ名古屋

 ちょっと前の話。
 さとなおさんが講演で来名され、
22日付けのさなメモで、こんなことを書いてらっしゃる。

 
クライマックス・シリーズで中日が連勝中の名古屋。(中略)
 でも阪神が同じ状況であるときの大阪と比べると大人しい。ちょっと意外。
 もっとドラゴンズだらけかと思った。


 まあ、
阪神ファンと比べられたら大抵のファンは大人しいと思うが、それはそれとして。
 これを読んで、あたしはツイッターでこう書いた。

 連勝中でも名古屋の街がおとなしいのは、ドラゴンズを含む地元のものに対して
 なぜかツンデレな名古屋気質のせいかと。
 これくらい当然なんだから、べ、別に、嬉しくなんかないんだからね!

 この発言がね、けっこう「そうそう!」「わかる!」という反響を戴いてしまいまして。
 そうなのよ、生粋の名古屋人の人は自覚してないかもしれんけど、名古屋人って「いかにも名古屋らしいもの」に対して、けっこうツンデレなのだ。

 あたしは大分で生まれ育って福岡の大学に行き東京に就職して大阪に転勤して名古屋に嫁ぐという、ひとり4大ドームツアー(札幌ドームが出来る前の話)な人間。でもってそれぞれの土地柄・人柄というのに接して感じたんだけど、東京は全国の寄り合いみたいなものなので別として、九州と大阪は、地元愛がはっきりしてるのだ。
 「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」と言いきる大分。
 山笠があるけん博多たい! でも母ちゃん怖かとよ、な福岡。
 そして日本全国世界各国どこへ行っても大阪弁で押し通す大阪。
 こういう地域に比べると、名古屋ってのは──地元に対してちょっとニヒルに見てるところがある。

 地元を出ると、名古屋弁を使わない。いや、地元に居ても、話し相手が地元の人じゃなかったら名古屋弁を使わなかったりする。「味噌カツ? うん、でも、ソースも美味しいよね」「味噌煮込みよりさぬきうどんの方が好きだな」「コメダっておしゃれじゃないもん、スタバが増えて欲しいな」なんて普通に言う。
 嫁いで来た当初は、名古屋の人って地元が好きじゃないのかな、と思った。

 ところが、である。

 そんなこと言ってる人の家の
冷蔵庫には「つけて味噌、かけて味噌」が当然のように入っており、味噌煮込みの卵をつぶすタイミングにこだわりがあり、「東京の喫茶店はコーヒー頼んだらコーヒーしか出ない」と怒ったりするのが名古屋なのだ。
 野球には特に興味がないと公言していた名古屋出身の作家さんが、エッセイの中でさりげなく「中日の投手陣は駒が揃っている」なんて書いてたりする。
 決してスポーツ好きではないはずのあたしの友人は、「負けるところは見たくないから、中日が勝ってる試合に限り7回から見る」と言う。
 
 
好きなんじゃん。(ずばっ)

 面倒くさいことこの上ない。
 でもこういうところが、なんか良くも悪くも名古屋だよなあ、と思うのよ。14年も住んでると、そのへんの呼吸というのがだんだん掴めてきた。そしてそれが、
押し付けがましくなくて心地いい

 だから名古屋の人に向かって「あ、この人って地元へのこだわりってあまりなさそうだな」と思っても、ドラゴンズ、グランパス、信長・秀吉・家康、そして味噌の悪口は言わない方が身のためです。 
 

地上波のお祭り中継なんか要らない

 朝日新聞の記事によれば、名古屋開催の1・2戦目の放映権を持っているTBSが、「だってその時間は世界バレーやるんだもん」ということで、全国中継を蹴ったのだそうだ。
 まあ、ぶっちゃけイマドキ野球なんて視聴率とれないしー、ってことなのだろう。

 個人的には、ぜんぜん、まったく、一向に構わない。
 BSやCSがやってくれるのならね。<そっちの方が心配。

 幸いなことに、ここ10年では04年、06年、07年に中日は日本シリーズに進出しておりますが、正直言って、地上波での全国放送は野球好きにとっては耐えられないくらいショーアップされた演出で、こんなことならNHKかCSでやってくれ、と切に願ったものだった。

 特に06年・07年なんてアンタ、どっちも相手は日ハムだったわけだが、06年は「新庄引退花道」という位置づけの中継で、中日はもちろん、日ハムの他の選手まで脇役扱い。CMに入る前には必ず新庄を映す。たとえその回、他の選手が活躍してようが、新庄を映す。もうげんなり。中日にもあのシリーズを最後に引退する選手がいたんですけどね。世界一のバント職人・川相さんがね。しかもヒルマン監督の勝利インタビューの途中で中継ぶったぎるというテイタラク。

 07年は、ダルビッシュがサエコ夫人と結婚したもんだから、試合中にやたらと客席のサエコさんを映す。選手よりサエコさんを映す。次第に、
サエコの隣に信子を座らせたい、という黒い衝動がふつふつと。相手は妊婦だから自重したけど。<さりげなくひどいこと言ってないか?
 とまれ、局側も何か視聴者の気を引くネタを作らないと、
野球の面白さだけでは番組がもたないと思っていることは明らか。しかしそれは実のところ、野球そのものの面白さを伝える技術がテレビ局にはない、と公言しているに過ぎないんだが。

 視聴率がとかスポンサーがとか延長時の番組調整がとか、そりゃいろいろあるのだろうと思うが、ここまで多チャンネル化が進んだ今、スポーツを地上波で流すメリットははっきり言ってないと思うのよ。むしろこれまで、当たり前のようにゴールデンタイムに野球という一スポーツの中継をする方がおかしかったのだと思う。
 今だって、あたしは自転車ロードレースをCSで見てる。地上波でやって欲しいとは思わない。レースの流れをぶったぎるCMや不必要な演出が入るくらいなら、今の国際映像そのままでレースに詳しいアナや解説の〈わかるひと向け〉の実況が入るだけで充分。
 それと同じで、野球が好きな人は、BSやCSに金を払って中継を見ている。試合終了まで中継するのは当然、余計な煽りも演出も無い、BSやCSの中継で必要にして充分なんだもん。

 「その時間は世界バレーやりますんで」というTBSにしたところで、バレーそのものの面白さを伝えようなんて気はさらさらないんだろう。芸能人を「オフィシャルサポーター」とかいう立場に置いて衆目を集めるのをもう何年もやってるわけだから。試合をカットしてアイドルの歌を流すってのも当たり前のようにやってたわけだから。
 そういう番組作りでは、視聴者にスポーツの面白さは伝わらない。だからいつまでも競技そのもののファンは増えない。同時に、
競技ファンはその演出にうんざりして地上波の中継から離れる。見なくなる。
 畢竟、地上波でのスポーツ中継はどんどん数字がとれなくなる。

 スポーツそのものを楽しみたい人は、金を出してCSでコンテンツを買う。そういう時代なんだから、「日シリを地上波でやらないなんて、野球人気凋落?!」などと騒ぐようなことではないのだ。最初から。

「脳天」@名駅・三省堂他

 栄編はこちらこちら

 というわけで今日は名駅の書店を巡る。
 本来は、毎月我が家でやっていた三婆……げふんげふん、三人娘(いつみ・かおかお・こいん)を招いての茶話会の日なのだが、せっかくなので今回は名駅書店巡りを兼ねて、お外でこじゃれたディナーでも食べましょうそうしましょうということになったのだ。

 実はこのいつみ・かおかお・こいんの3人、
『脳天気にもホドがある。』にもそのままの名前で登場している(イラストもある)。登場人物には献本することにしているので、今日は書店で『脳天』を購入して彼女たちに献呈する予定なのである。

 
午後3時にセレブマダムっぽく名鉄グランドホテルのスカイラウンジで待ち合わせ。
 
まずはホテルの入ってる百貨店の5階に紀伊国屋書店に行き、ノンフィクションコーナーの平台に2冊あったのを発見。
 ところがそこでスットコ娘・こいんが、近くに「森見登美彦コーナー」が出来ていたのを見て「こっちに置きましょう、これと替えましょう」と言いながら
「ペンギン・ハイウェイ」の山を動かそうとしたので、慌てて押しとどめる。ななななんちゅうことを。アホかお前は。

 次は高島屋11階にある三省堂書店。
 ツイッターなどで、どうやら
『脳天』は書店によって置かれる場所がまったく違うということが判明したため(ノンフィクション、介護・福祉、スポーツ、ドラゴンズ、女性エッセイなどなど)、手分けして探そうということになった。
 「検索禁止、店員さんに尋ねるのも禁止、自力で探すこと!」
 とワケのわからないルールをいつみが宣言し、4人で売場に散る。が、意外とあっさり見つかった。
 レジ目の前の「ドラゴンズコーナー」と新刊や話題本が置かれている「注目書籍コーナー」の2カ所。なんか目立つところに置いてくださっててありがたく、担当の方にご挨拶させていただいた。
 で、ここで三婆に献呈する本を買ったわけだが、レジに並んでいるときにとんでもないものが目に入ってひっくり返りそうになる。

 
『脳天気にもホドがある』のパネルが、レジの後ろに立てかけてある!

 なんだあれは。あんなものがあるのなら出してくれよ、いや出さなくてもいいがとりあえずブログ用に出したところを写真に撮らせてもらえまいか。そう頼むと快く出してくださった。

 超分不相応(笑)

 落合監督の著書と「ニーチェの言葉」に囲まれる『脳天』の図。

 写真だけ撮って「ありがとうございました、もうしまって戴いてもけっこうです」と謙虚に申し出たのだが、担当の方は「僕も今、出社してきたところでまだやってなかったけで、出す予定でしたから」とそのままにして下さった。ありがたやありがたや。

 平積みして下さってる書店さんはけっこうあったが、こうしてパネルとかが出ると目立ち方が違うなあと感動しきり。
あおい書店ではまったく違うパネルで客引きをしてださっていたが、こちらは正真正銘、拙著のパネルだ。いつまであるか分からないので(こらこら)、近所の人は早めに行って一度見ておこう。冥土の土産になるぞ。

 そのあとはジュンク堂名駅店に回る。ここもやっぱりドラゴンズコーナーで多面展開して下さっている。店員さんは、
「こんなに注文した覚えはないんですが」と著者に向かって驚くほど正直過ぎる本音を言ってくださった(うわははは!)後で、「でも入荷してすぐに数冊出ましたから、とても良いペースだと思います」とすかさずフォロー。

 それにしてもドラゴンズコーナーに置かれているケースが多い今日このごろ、野球シーズンが終わったあとでどうなるのかが心配。上に書いたように、ツイッターによると他の地方では
ノンフィクション、介護・福祉、スポーツ、ドラゴンズ、女性エッセイなどなど書店によってまったく違う場所に置かれているようなので(なんと札幌ではついに動物キャラクターのコーナーに置かれていたそうだ!)、新刊コーナー及びドラゴンズコーナーが存在するうちに買ってくださいプリーズ。